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「トルコの街角から」バラットで過ごす猫とのひととき 星野安杏
こんにちは。1月13日から21日までお休みをもらってイスタンブルに里帰り(?)していました。1年半トルコに行かなかったせいか、見るものすべてが懐かしく、また目新しくも見えてき不思議。以前より観光客も増えたのか、活気のあるイスタンブルに嬉しい気持ちになりました。 今回は、イスタンブルのバラットというところにあるカフェを紹介したいと思います。バラットという名前、聞いたことある方はいらっしゃるでしょうか。 歴史に関心がある方は、コンスタンティノープル総主教座などでご存知かもしれません。最近では、ウクライナ正教会の独立に関するニュースを目にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。 バラットには、観光であれば必ず訪れるであろうエジプシャンバザールがあるエミノニュからバスに乗って行くことができます。古い建物が残る下町っぽい雰囲気がが独特で、写真スポットやカフェスポットとして注目されてきています。 今回ご紹介するカフェは「ナフタリンカフェ」です。バス停からおりて、コンスタンティノープル総主教座へ向かう道を行く途中、右手にあります。このカフェ、猫が自由に出入りしています。初めてお邪魔したのは4年前の留学中。写真のように寝ている猫のリラックス度にカルチャーショックを受けました。 今回も中にはいると、暖房の近くの温かいテーブルと日当たり良好な広めの机に座っている猫が2匹出迎えてくれました。私は日当たりのい い窓際の席に座りました。思わず「ちょっとお邪魔しますね。」と声をかけてしまうほど、堂々と 座っているこの子、名前はクヌシュです。 人間に慣れているようで、こちらには「また人間が来た」と言わんばかりの視線を投げて、外を見ています。通りを歩く人を眺めるのは好きなのでしょうか。 のんびりした時間を過ごして、さぁと外に出るとそこにはまた猫さん。中に入りたくて、外の椅子に座ってお客さんが出てくるのを待っていたようです。 そして向かいの床屋さんを覗いてみると、そこにも小さな猫が!お行儀よく座っているように見えますが、入ろうとしてドアに飛びついた肉球のあとが沢山残っていました… トルコではよく、引っ越す時はそこの動物たちをみるようにと言います。動物たちが逃げなければそこに暮らすご近所さんたちもいい人だからだそうです。 リラックスした猫たちとそれを見守る人々に心も体も温まりました。イスタンブルでは、ナフタリンカフェのように猫や犬がのびのびと過ごしているカフェをよく見かけます。動物を飼っていなくても、勝手に猫が外の席で寝ていたり、そして人もそれをほっておいたり。 町歩きが楽しいイスタンブル。足が疲れたら、猫と一緒に一休みはいかがでしょうか。
オト トルコの文学、風刺雑誌
オト トルコの文学、風刺雑誌 タイトルはトルコ語で「草」という意味。珍しいのは、風刺漫画と文学(随筆)が一つになっているところ。2013年創刊。 月刊誌 全64ページ 値段 6リラ(約240円)2015年10月現在 紹介するのは2015年10月(第32)号 表紙 3ページ(右) ニルギュン・マルマラ(1958-1987、写真)トルコの女流詩人による詩 4ページ(左) デュジャーネ・ジュンディオール(1962-)トルコ人作家、思想家の随筆 オレンジ色の円の中「私たちを人間にしているのは悲しみである。なぜなら人は悲しむとき、もっとも秘められた側面をみせるからだ。その側面とは、人間的側面である」 5ページ(右) 右側は元トルコ代表サッカー選手、元監督のメティン・テキン(右)が、同じく元代表選手で現監督のフェイヤズ・ウチャル(左)との友情を語るエッセイ。 6,7ページ 「トルコ人は賢いのだろうか?」 トルコ人詩人、小説家であるムラト・メンテシュによるエッセイ。 黒円囲みの文字(左)「権力者は(祖国のために巡視した)死人を好む。どんなに賢くとも、彼ら(死人)は何も問いただしては来ないからだ」 中央写真。男性2人の会話 左:考えている・・・ 右:何を考えているんだい? 左:何も。ただ考えている。 8,9ページ トルコの女流作家、ネルミン・ユルドゥルムによる随筆。 見出し「鳥たちよ、ママに温かい国をたくさん持ってきて頂戴!」 10,11ページ トルコの俳優、音楽家、映画監督であるアリ・アタイによる文章。 12ページ(左) 左側の2枚の絵画 上、テーマは「わが祖国」 下、テーマは「脳裏に孤独がよぎる」 右側の文章はマヒル・ウンサル・エリシュというトルコの作家、翻訳家のもの。 14ページ(左) 「35歳は(人生という)道の真ん中」 35才で音楽家(写真左)、サッカー選手(写真右)、俳優(写真下)になった人々の経験を綴ったページ。 15ページ(右) 見出し「50歳からアイシェ(トルコ人女性名)に手紙を」 16ページ(左) 見出し「私の精神状態は、あなた次第です」 17ページ イスタンブール、ビエンナーレの広告 18,19ページ 「秋」 「戦争はこの国の人々にとっていつの時代にも遠いものにはならなかったが、爆撃の音が聞こえなかったせいだろうか、彼らは知らないふりをするのがとても上手だった」 20ページ(左) 見出し「詩人はパンを食べるのに、パン職人は詩を読まない」 21ページ(右)一コマ漫画「ディップノート(声に出せない本音)」 1段目左 女「鶏肉好きでしょ?」(一番料理が簡単だし肉だし…最初の食事でリスク取りたくなかったの) 3段目左 女「あぁー!」「なんか熱くないこの部屋?」(あっち行ってよ、狭いじゃない!) 右 男「ハニー、ママたちも近くにいるんだって。寄っていかないか?」…
『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim
『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim 1995年 晶文社 フェリット・エドギュ(著) 木原興平(翻訳) <あらすじ> 舞台はトルコ南東部ハッキャーリ。主人公の青年は、何らかの事情で記憶を失っており、その記憶を少しずつ思い出すように、自らが生きるために必要なことを思い出しながら、それを生徒たちに教えようとする…。 この作品を原作とした映画「ハッカリの季節」は1983年にベルリン映画祭において銀熊賞、国際評論家連盟賞を受賞し一躍有名になり日本でも翌年公開された。 著者についてはこちら 購入はアマゾンから 関連記事 ・『イスタンブール短編集』 ・トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
作家 セルダル・オズカン
セルダル・オズカン Serdar Ozkan (1975年8月‐)イスタンブール出身。大学で渡米、経営学や心理学を学んだ後、2002年より執筆に専念。 彼のデビュー作であり代表作となった「The Missing Rose(失われた薔薇)」は44か国語に翻訳され65か国以上で出版、多くの国でベストセラーとなった。 オズカンの代表作「失われた薔薇」詳しくはこちら Serkan Ozkanホームページ 関連記事 ・アズィス・ネスィン ・サイト・ファーイク・アバズヤヌク
日本人視点で楽しむ現代トルコ音楽 Nilüfer & Feridun Düzağaç
第9回 やっと暑さは過ぎまして、爽やかな気候になってきました。 とは言え日中はまだ暑さがありますが、時間の問題ですね。 日本は台風シーズン真っ只中でして、先日の台風も大変でしたが、この前の台風被害に遭った地域はまだ復興途中ですから、心痛みます…( ノД`) しかし、元々台風通過経験が多く対策済みのわが関西地方も昨年は大変でしたから、何事にも備えは大切なんですよね… さてさて、前回から少し間が空きましたけれど、今回は。 基本的にこの連載は男性→女性→男性→女性…としてるので、まぁ、たまにはデュエットや男女混交のグループも良いかと思いまして。 Nilüfer & Feridun DüzağaçKavak Yelleri (カヴァック・イェッレリ) 新しい方やん!٩(ˊᗜˋ*)و と思って選んだんですが、それでも2014年の曲でした――(´Д⊂グスン 曲の内容と撮影場所はあんまり関係ないですね。 おそらく昔の裕福なお家か貴族の邸宅っぽいんですが、結構こういう場所でPVが撮影されること多いです。 この曲はもともとNilüfer姐さんの(古い)曲をデュエットに焼き直した企画アルバムの中の1曲です。 Kavak Yelleriと言うのは直訳すると「ポプラのそよ風」、 ささやかな風でもすぐにそよぎ始めるというポプラの特性から、 『相手のちょっとした行動に一喜一憂して、揺れさざめく若い心』を表す言葉なんだそうです。 青春だなぁ…(〃艸〃)ムフッ 歌い方等々「そよ風」というレベルではなく、『どう見ても暴風雨』なんでないかい?と思えますがね。 元曲はもっと穏やかな感じなんですよ。 Nilüfer – Kavak Yelleri (1992) でも私はFeridun兄さんとのデュエットの方が好きだなぁ (*´ω`*) |壁|д・)ノところで、この2人で若いのはFeridun兄さんですからね!(当時46歳…超老け顔) 後は察して…(-д-)
今月のトルコの風刺漫画 2018年10月 エルディル・ヤシャロール
今月のトルコの風刺漫画 2018年10月 エルディル・ヤシャロール エルディル・ヤシャロール 風刺漫画家 プロフィール