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アズィス・ネスィン
アズィス・ネスィン Aziz Nesin (1915年12月20日‐1995年7月6日)イスタンブール出身。トルコの風刺作家、詩人。100以上もの作品を世に出し、世界中で翻訳され読まれている、トルコを代表する作家。 日本語で出版されているネスィンの作品としては『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』がある。 『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』詳しくはこちら 彼は政治的アクティビストでもあった。そのきっかけとなったのは1980年のクーデタにより、知識人排斥の機運が高まったことであった。彼は仲間の数名の知識人と共に、当時政権にあった軍部に立ち向かい、「Aydinlar Dilekcesi(知識人の請願)」を発したことで有名になった。彼はまた、トルコ作家組合の長でもあった。 彼はイスラムへの強い批判でも知られる人物である。彼はサーマン・ルシュディーの「悪魔の詩」(1988年発表、預言者ムハンマドを題材とした小説)をトルコ語に翻訳した。この小説はイスラム世界では冒涜的だと受け取られ、アズィズ・ネスィンも強く非難を受けた。 1993年7月2日、アナトリア中央に位置するシヴァスのホテルでアズィス・ネスィン含む多くの知識人が一堂に会し会議をしていたところ、ホテルに火がつけられ避難路が塞がれるという、いわゆる「シヴァス大量殺人事件」が起きた。この時、アズィス・ネスィンは危機一髪非難に成功するが、37人もの文化人が命を落とした。この事件はのちに、トルコのイスラム原理主義とその「冒涜者」の対立ではないかとされた。 関連記事 ・オルハン・パムク ・サイト・ファーイク・アバスヤヌク
芸文館 イスタンブールで学ぶ日本の芸術
芸文館 Japon Sanat Merkezi イスタンブールのアジア側にある芸文館Japon Sanat Merkeziは日本とトルコを芸術でつなぐ存在である。 墨絵や日本画のクラス、日本とトルコの芸術家たちによる共同作品展などの文化活動を積極的に実施。 2016年の5月には町田市立国際版画美術館にてArtTurkeyJapan2016の名でトルコ人芸術家たちの作品展を予定している。楽しみですね。
トルコ宮廷料理
トルコ宮廷料理ブルガズアダ 世界三大料理に数えられるトルコ料理。なかでも、13世紀~20世紀初頭まで存在したオスマン・トルコで、時の皇帝のために作られた宮廷料理が味わえるのが、麻布十番の「ブルガズ アダ」だ。 シェフはNHKの‴キッチンが走る‴などにも出演したオーナーシェフのメフメット・ディキメンさん。 麻布十番のレストランの内装も素敵で、静かにディキメンさんの創造豊かな料理を楽しめる。 前菜プレートを見るだけでも幸せになる噂までに。 予算は一人8千円~1万5千。 トルコ宮廷料理ブルガズアダ 〒106-0045 東京都港区麻布十番3-7-4 麻布六堂3F Tel . 03-3769-0606 Fax . 03-3769-0607 ブルガザダ トルコ宮廷料理 ホームページ
ハジュ・アブドゥッラー レストラン
トルコ伝統料理レストラン ハジュ・アブドゥッラー Hacı Abdullah 今日イスティクラール通りから一歩入ったところにあるトルコ料理店ハジュ・アブドゥッラーの創業は1888年。カラキョイに構えた店は、スルタンアブドゥルハミッド2世の賓客の接待場でもありました。営業許可はスルタン自らが手渡したそうです。その後、店はタクシムに移ります。同じ地区で小さな引っ越しも数回し、店名が変わった時期もありましたが、料理には創業当時の味が確実に受け継がれています。それは、この店がアヒー(Ahi)という伝統的な職人組織の経営形態を採用し、店の所有権がシェフから弟子へと受け渡されてきたからです。こうして、経営者が変わると料理の味も変わってしまうことを防いでいるのです。店に入ると、色とりどりの果物や野菜の瓶詰めが目に飛び込んできます。タクシムに行ったら、足を運んでみては。言葉がわからなくても、料理を見ながら選べるのも嬉しいですね。 ハジュ・アブドゥッラーのカラフルな漬物の展示は一種のアートとも言える。 落ち着いた雰囲気が魅力的