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チャナッカレ・オンセキズ・マルト大学日本語教育学科
こんにちは! 私はチャナッカレ・オンセキズ・マルト大学の日本語教育学科のエリフ・エルテムです。 はじめに、私たちの学科と、活動内容を紹介します。 チャナッカレ・オンセキズ・マルト大学の日本語教育学科は1993年に設立されました。6人の日本人の先生、5人のトルコ人の先生がいて、特徴は、ヨーロッパの唯一の日本語の先生を訓練する高等教育機関であることです。 私たちの学科の教育には、日本語教育の他に、日本の文化、文学、歴史などの教育もあります。日本語教育に加えて、学科の学生のために、剣道、茶道、書道、折り紙、漫画、アニメのような様々なクラブ活動もあります。 私たちの学科のその他の活動として、チャナッカレ市民のためにされる無料の日本語コースがあります。 このコースの目的は、学習者に初心者のレベルの日本語を教えることと、日本の文化を紹介することです。年齢や教育レベルに関係なく、誰でもが参加できるこのコースに対しての需要は年々高まっています。授業は日本語教育学科の日本人の先生の監督の下、学科の学生によって行われています。 私はこれから数回に分けて、トルコの神話 に存在する、妖怪みたいな怪物を紹介する予定です。この怪物を紹介するのは、トルコの文学でも、日本の文学でも神秘的な要素が大切にされると思っているからです。 プロフィル Elif Ertem エリフ・エルテムチャナッカレ・オンセキズ・マルト大学日本語教育学科 3年生。
![画家 NEŞ’E ERDOK ネシェ・エルドク](https://loveturkey.jp/wp-content/uploads/2018/11/1be65da59efb24b65708157d9dc27bfd.jpg)
画家 NEŞ’E ERDOK ネシェ・エルドク
画家エイリュル・キョクシュメールがシリーズで紹介する現代トルコ人画家の絵画。 NEŞ’E ERDOK ネシェ・エルドク 1940年イスタンブール生まれ。 ミーマルシナン芸術大学を卒業後、同大学で1990年から2008年まで教鞭をとり、教授となる。 現役のトルコ人画家の中の最重要人物の一人である。フィギュラティブ・アートの分野において独自のスタイルを確立し、数多くの若き画家たちを育ててきた。 社会派リアリズムの画家であり、社会問題をテーマにするが、それらを自画像上に表現するスタイルが興味深い。 何年にも渡り描き続けてきた自画像にトルコ女性が体験した社会状況や女性の戦いを見ることができる。 自画像以外にも社会のさまざまなグループに属する人たち、ホームレス、子供、商店街の人たちや野良犬や野良猫なども多く描いている。 最近の作品には美容師、鏡そして女性と髪の毛との関係をテーマとしたものが多く、印象深く個性的である。 エルドクの描く人物は重力の少ない空間に浮いているよう移り、手足は意図的に大きめで丁寧に色づけ去れている。 ほとんどの作品に主役の人物とともに描かれる存在感のある猫も彼女の絵の特色である。 NEŞ’E ERDOK Ressam Neş’e Erdok 1940 yılında İstanbul’da doğdu. Mimar Sinan Güzel Sanatlar Akademisi’ni bitirdikten sonra, aynı okulda 1990-2008 yılları arasında hocalık yaptı ve profesör ünvanını aldı. Türk resminin yaşayan en önemli ustalarından olan Neş’e Erdok, figüratif sanat alanında kendi üslubunu yaratmış…
![アズィス・ネスィン](https://loveturkey.jp/wp-content/uploads/2016/01/Love-Turkey-Aziz-Nesin.jpg)
アズィス・ネスィン
アズィス・ネスィン Aziz Nesin (1915年12月20日‐1995年7月6日)イスタンブール出身。トルコの風刺作家、詩人。100以上もの作品を世に出し、世界中で翻訳され読まれている、トルコを代表する作家。 日本語で出版されているネスィンの作品としては『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』がある。 『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』詳しくはこちら 彼は政治的アクティビストでもあった。そのきっかけとなったのは1980年のクーデタにより、知識人排斥の機運が高まったことであった。彼は仲間の数名の知識人と共に、当時政権にあった軍部に立ち向かい、「Aydinlar Dilekcesi(知識人の請願)」を発したことで有名になった。彼はまた、トルコ作家組合の長でもあった。 彼はイスラムへの強い批判でも知られる人物である。彼はサーマン・ルシュディーの「悪魔の詩」(1988年発表、預言者ムハンマドを題材とした小説)をトルコ語に翻訳した。この小説はイスラム世界では冒涜的だと受け取られ、アズィズ・ネスィンも強く非難を受けた。 1993年7月2日、アナトリア中央に位置するシヴァスのホテルでアズィス・ネスィン含む多くの知識人が一堂に会し会議をしていたところ、ホテルに火がつけられ避難路が塞がれるという、いわゆる「シヴァス大量殺人事件」が起きた。この時、アズィス・ネスィンは危機一髪非難に成功するが、37人もの文化人が命を落とした。この事件はのちに、トルコのイスラム原理主義とその「冒涜者」の対立ではないかとされた。 関連記事 ・オルハン・パムク ・サイト・ファーイク・アバスヤヌク
![『改宗者クルチ・アリ教会からモスクへ』](https://loveturkey.jp/wp-content/uploads/2016/01/muhtedi-4-768x1024.jpg)
『改宗者クルチ・アリ教会からモスクへ』
『改宗者クルチ・アリ教会からモスクへ』 Muhtedi Kiliseden Camiye 藤原書房 2010年 オスマン・ネジュミ・ギュルメン(著) 和久井路子(翻訳) 著者についてはこちら <あらすじ(裏表紙より)> 「中東から北アフリカ、ヨーロッパに渡る広大な地域を勢力下に収めたオスマン帝国と、擡頭しつつあるキリスト教諸国との間で、激しい勢力争いが展開された十六世紀地中海世界。イスラム王朝を敷きつつも多様な民族と宗教をその懐に抱いていたオスマン帝国では政治、軍事などの各領域においてさまざまな出自の人々が活躍の場を獲得していた。クルチ・アリもまた、その一人である。キリスト教からイスラムに改宗し、海賊として頭角を現したクルチ・アリは、その勇敢さと智恵によって勇名を馳せ、その力を恐れたキリスト教諸国からの度重なる懐柔をも斥けてついにオスマン帝国海軍の最高位である提督に登り詰める。 本書は、クルチ・アリという伝説的人物の物語であるとともに、彼を取り巻く、海という自由を生きた男たちの群像劇でもあり、その背景には、オスマン帝国という特異な存在の勢力の源泉となっていた宗教的多様性のダイナミズムが、博覧強記の著者の筆力によって、余すところなく描き出されている。」 購入はアマゾンから 関連記事 ・最後の授業 ・トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
![『新しい人生』オルハン・パムク](https://loveturkey.jp/wp-content/uploads/2016/01/yeni-hayat-yatay-768x566.jpg)
『新しい人生』オルハン・パムク
『新しい人生』 Yeni Hayat 藤原書房 2010年 オルハン・パムク(著) 安達智英子(翻訳) <あらすじ(裏表紙より)> 「「ある日、一冊の本を読んで、ぼくの全人生が変わってしまった。」工科大学に通う平凡な大学生だった主人公は、美しい女子学生ジャーナンが持っていた本を古本市で購入し、その本の圧倒的な力にすっかり魅了されてしまう。主人公はジャーナンに心を奪われるが、ジャーナンの恋人メフメットが突然の銃撃事件で撃たれ、直後に二人は現場から失踪する。二人が自分と同じく本によって人生を狂わされたことを知った主人公は、二人の行方と、本に記された「新たしい人生」を探し求めて、長距離バスを乗り継ぐ旅に出る。 やがて再開を果たした主人公とジャーナンは、メフメットを負ってトルコ全土を巡る旅を続ける中で、銃撃事件の背後に、トルコの西洋化に抵抗する秘密組織の存在を知る…。刊行時にトルコで史上最速の売行きを達成した、ノーベル文学賞受賞作家の小説第五作。」 購入はアマゾンから 関連記事
![赤ちゃん トルコ語命名ガイド](https://loveturkey.jp/wp-content/uploads/2016/11/Love_Turkey_Toruko_Namae-1-768x576.jpg)
赤ちゃん トルコ語命名ガイド
赤ちゃん トルコ語命名ガイド 近年のトルコ人と日本人の国際結婚の増加に伴い、生まれたお子さんの命名にあたり、素敵なトルコ語名をと考えるカップルも多くいらっしゃいます。このような方々に、トルコ語命名で知っておきたいことをお伝えします。 まず、トルコでの姓名についての基本的知識ですが、①親の付けた名・②おじいちゃんおばあちゃんの付けた名・③姓、の順で並びます。トルコでは姓で呼ばれることはまずなく、かなり親しい人でも姓をすぐ思い出せない場合もよくあります。おじいちゃんおばあちゃんに付けてもらった名で呼ばれるケースも少なく、ほとんどは親が付けた名が呼び名になります。ちなみに、おじいちゃんおばあちゃんにもらった名がイスラム教にちなんだ名前が多いことは想像がつくと思います。 一般的に言って、親は子供に長くて難しい名前を付けることはしません。これはイスラム的な名であろうとなかろうと共通しており、呼びやすく覚えてもらえやすい、子供自身も簡単に書ける名前をと思ってのことです。男性名を例に挙げれば、ムスタファ、メフメット、ハサン(アラビア語名)、ハーカン、メテ(トルコ語名)はトルコに何十万人もいます。 日本語にも「名を成す」「名を上げる」という表現がありますが、トルコで名は自分の善行、成功で勝ち取るもので、生まれた時にもらう名はそれほど重要ではないというのが伝統的な考え方です。ただし、偉業を成し遂げた人の名(例えば祖国の父ケマル・アタチュルクからケマル)を子供に付ける人ももちろんいます。 次に、命名の際、日本名とトルコ名が違っていても問題ありません。例えば、日本名が泉(いずみ)、トルコ名がPınarプナル(トルコ語で泉の意味)でも大丈夫です。日本語の名はすべてローマ字で表せますが、トルコ名を日本で表記したい場合、漢字表記はもちろんのこと、カタカナ表記でも少し大変ですね。ですから、表記が困難な名については無理をせずにトルコでだけ登録するのも一案です。つまり、日本名は日本のパスポート上に、トルコ名はトルコのパスポート上に記載されるわけで、名が異なっていることをチェックする機関はないということです。 具体的な名前については、『赤ちゃんの名前辞典』をご参照ください。 ハーフの子供を育てるままの日記ブログもお読みください!