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日本語で読む「ナーズム・ヒクメット」
日本語で読む「ナーズム・ヒクメット」 トルコ文学を代表する詩人ナーズム・ヒクメットの作品は1960年代から日本でも紹介されている。広島の原爆で命を落とした少女をテーマにした「死んだ少女」は今でも日本歌曲として歌い続けられている。 トルコで8年間暮らした日本人の方がトルコ語から訳した詩をもとのトルコ語と一緒に紹介したい。 Heartland Asagoのブログから引用 「 KEREMのように 」 (KEREMはあるトルコ文学作品に登場する情熱的な男性の名) 空気は鉛のように重い! 叫び 叫び 叫び 叫 ん で い る 走れ! 鉛を 熔かす ために 呼 び か け て い る 彼は私に言う ― お前は自分の声の情熱で灰になってしまうだろうよ Keremのように 燃えながら 苦悩はあまりにも多く、しかしそれは私にとって無いにも等しい 心のなかの 2つの耳は 何も聞こえない 空気は鉛のように重い… 私は彼に言う ― 灰になってやろうじゃないか Keremのように 燃えながら 俺が燃えなければ お前が燃えなければ 俺達が燃えなければ 一体どうやって抜け出せるというのだ? この暗闇から明るいところへ 空気は大地のように肥え 空気は鉛のように重い 叫び 叫び 叫び…
ジャン・チャクムルが語る浜松国際コンクールの全て
このインタビューはアートをテーマにしたトルコのブログ「芸術の木霊」(Sanattan Yansmalar)により、2018年12月2日にドイツのヴァイマールで行われたものです。 ジャン・チャクムル 「芸術は世界の美しさの表れであり、世界をひとつに結ぶ力を持っている」 コンクール参加を決めた経緯は?怪我をした指をどうやって治したのか?コンクールから得たものは?誰から優勝を祝ってもらった?2019年はどんな年になりそう?このインタビューで全てが語られる。 第10回浜松国際コンクールで優勝し、クラシック音楽界で大きな飛躍を遂げたジャン・チャクムルは1997年生まれ。中東工科大学付属高校卒業後、現在はフランツ・リスト音楽大学で最終学年に在学中である。コンクール後は、肉体的にも精神的にも疲労困憊して日本からドイツのヴァイマルへ戻ってきた。にもかかわらず、我々と会う時間を作り、質問に答えてくれた。ジャンの今後ますます増えるだろうコンサート活動と、音大生としての勉学の成功を祈る。 Q スコットランドピアノコンクールで優勝してから、世界中の権威あるコンクールの情報を集めはじめたの?それとも誰かがアドバイスしてくれるのかな? A ネット時代に生きる僕たちは、世界中のすべての出来事をフォローできるので、幸運です。大きなピアノコンクールは開催時期が決まっているので、誰もがほぼすべてについて、いつ行われるかを把握しています。浜松のコンクールに出たいという考えは、2015年からずっと頭の片隅にありました。 Q では、出場はどうやって決めたのかな? A 実のところ、スコットランドでのコンクール後、出場しようかどうか迷った時期があり、先生方にも相談しました。ただ、この2つのコンクールは開催地も遠く離れていますし、浜松が国際的にも権威があることから、出場を決意しました。大きなコンクールにはどれも30歳以下という年齢制限がありますから、この12月で21歳になる僕には、一番多くてあと3回出場の機会が残されていることになります。 Q 出場者に顔見知りの人はいたの? A ピアニストの世界はかなり狭いですよ。コンクール出場者88人中少なくとも20人は知っていました。このうちの数人は仲のいい友人です。初めて会った人たちとも、すぐに仲良くなりました。 Q 11月7日から始まったコンクール期間はかなり長かったね。初めて訪れた国の慣れない環境のもと、手ごわいライバルに囲まれて、この期間がどんなだったか聞かせてくれるかな。 A コンクール期間は、それ以前の準備期間に比べると、かなり快適に過ごせました。久しぶりに友達たちと再会する機会になりましたし。日本文化と生活スタイルに慣れるには何日かかかりました。トルコ文化、そしてヨーロッパ文化とは全く違いますね!でも何といっても和食は本当に素晴らしいです。すぐに好きになり、帰りたくないと思ったくらいです。 コンクールのレベルが高いので、やる気がますます高まりました。あれほど刺激的なミュージシャンたちと同じ場所にいられること自体が幸せなことです。ストレスを感じるどころか、参加できて本当に幸運だと気づかされました。 選考が数日か間を置いて行われたことが、出場者にとって良かったのか悪かったのかはわかりません。通常コンクールの予選は1日おきに行われて、早く終わります。浜松の場合、選考過程がもっとずっと長く続きます。長い準備期間があったのは確かですが、まさにこの理由で心理的には長期間自分をコントロールしなければなりません。期間が長くなればなるほど、集中力を保つのも難しくなり、肉体的にもストレスが増して、厳しくなってきます。 つまり、期間中は、本当に疲れました。でも、ステージに立って、そこで演奏できることは本当に楽しかったです。 Q 指を痛めたそうだけれど、どうしてそんなことに?コンクールを棄権することは考えた?指の治療はどうやったのかな? A ピアニストの中には慢性的にこの問題に悩まされる人たちがいます。立て続けにコンサートがあり、いつも以上に練習すると、指と爪の間の肉が離れてしまうのです。日常生活には困りませんが、ピアノの演奏には妨げとなります。普段ならば数日練習せずに指を休ませることで問題は解決しますが、コンクールの最中に、しかも第三次予選に残った時点ではそんなことはできませんでした。このようなときのためにといつも持っている薬用のクリームがあるのですが、指が痛くなる前に日本のどこかで無くしてしまいました。日本でこのクリームと同様のものがあるとわかりましたが、病院で医師の診察の後しかもらえないと聞いて本当に困りました。すると、コンクール出場を機にコンタクトをとるようになったトルコ大使館の駐日トルコ大使ムラト・メルジャン氏が、奇跡的なことに僕が使っているクリームと同じものを大使館内で見つけ、すぐに東京から浜松に送ってくださいました。これがどれほど役に立ったか!今一度お礼申し上げます。第三次予選まであと2日しかなく、その1日目は指の痛みからピアノを触ることさえできませんでした。演奏できないのではないかと心底怖かったです。ですが、緊迫した場面で人間の体には信じられないことが起こります。普段なら治るのに4-5日はかかるのですが、緊迫感と、もちろんクリームのおかげもあって、1日経つとよくなった、というか、少なくとも痛みを感じなくなってきたのです。 Q 室内楽で共演した演奏者たちについての感想を聞かせてくれる? A 言うことなしの素晴らしいミュージシャンたちです。リハーサルには50分という短い時間しか与えられていませんでしたが、彼らの卓越した順応能力のおかげで、演奏は格段によくなりました。本番での演奏にもみんなが満足できました。そして何よりも、みんなが楽しく演奏できたのです。それでも、リハーサル時間があと1時間あったらと思わずにはいられませんが…。 Q コンクール中一番緊張したのはいつかな? A 難しい質問です。そもそも緊張するというのはふさわしい言葉なのかどうか。なぜならコンクール中はあまりに目まぐるしくて、緊張する暇さえないのです。でもやはり、第一次予選は僕にとっては一番きつく感じられました。まだ一次予選なのに1500席のチケットが何週間も前に完売されているホールで、未経験の音響下で、初めてのピアノで演奏するのですから。それに加えて一次予選そのもののストレスもありました。出場者全員が最高レベルの88人のピアニスト中、予選の結果64人が次に進めなくなるのです。そして、出場者に与えられた20分の演奏時間は実に短い。本当の自分の演奏ができる前に終えなければならないのです。 Q 本選で日本人4人、韓国人1人と競うことになり、コンクールが日本で行われていることから、優勝の望みはないと思ったことは? A それは全く考えませんでした。僕は、賞をとるためにコンクールに出ようという人はいないと思っています。コンクール中は厳しい日々が続きます。ピアノを弾くこと、美しい音楽を作り出すことに全神経を集中しなければならず、実際そうしています。このような状況下では、勝ち負けは頭をよぎることさえないのです。そもそも、本選出場者が発表されたとき、友人から言われるまでは、日本人、韓国人でないのは僕だけだということに気づいてさえいなかったのです。 Q ピアニストが国際的に認められ、演奏依頼を受けるようになるにはきっかけが必要だね。コンクールはその最たるものだけど、浜松で優勝したことで、道が開けたと思う? A もちろんです。今の段階だけでも、大きな依頼を受けています。BIS社で収録するCDは全世界で売り出されますし、東京交響楽団とのコンサートツアーやロンドンのバービカン・センターでのコンサートなどがあります。そして、演奏依頼が何年間にも渡って継続的に来ているということが重要なのです。 Q 優勝だけでなく室内楽賞も取ったのだから、これからは忙しくなるね。スコットランドピアノコンクール勝者としてのコンサートがあり、浜松の優勝者ツアーも始まるわけだから。どうやって準備するの? A 優勝者に与えられた賞の1つで、たぶん最も重要なのが、ロンドンのIKON Arts Management社との契約が始まったことです。この会社と日本の関係団体の幹部の方々が集まって、本選の翌日から何度か会合が持たれました。その結果、充実したスケジュールが組まれ、これで第一歩を踏み出したのです。1月には日本でBIS社とCD収録があります。それから2月末までは比較的時間があります。この間に、翌月から演奏する曲の準備をするつもりです。3月からは、スコットランドでロイヤル・スコティッシュ管弦楽団とのコンサートから始まり、4月以降はタイトなスケジュールでコンサートが続きます。スコットランドコンクール優勝でいただいたコンサートと浜松勝者に与えられがコンサートが重なり、今の段階ではいくつになるのか僕にもわかりません。例えば7月末までに日本で15回ほどコンサートが予定されています。来年のスケジュールが確定するのは12月末になります。 Q 今月イタリアでコンサートがあるらしいね。 A 来週モデナとフェルモでリサイタルがあります。1月からは日本でCD収録が始まるのです。 Q 偶然訪日中だった文化観光大臣と会う機会があったそうけれど、どうだった?大臣からの祝福の言葉のほかに、トルコ政府の反応はどうだったのかな? A コンクール後にも予定があったので、11月28日まで日本に滞在しました。この期間に駐日トルコ大使ムラト・メルジャン氏のお計らいで、文化観光大臣メフメット・ヌーリー・エルソイ氏に東京でお目にかかりました。また、文化観光大臣メフメット・ヌーリー・エルソイ氏と教育大臣ズィヤー・セルチュク氏がお祝いのメッセージをソーシャルメディアで発信してくださいました。トルコで、そして世界中でそうですが、我々は分極化した時代を生きています。僕は、芸術は世界の美しさの表れであり、世界をひとつに結ぶ力を持っていると強く信じています。感性に満ちた心は、周囲の人間の心に働きかけ、ともに鼓動させるのです。 Q 今後出場を考えているコンクールは? A 難しい質問ですし、時期尚早です。浜松で優勝したことで、生涯ずっと定期的にコンサート活動が続けられる可能性が生まれました。今言えるのは、今後3年間がとても忙しくなるということです。それから後のことは、いずれはっきり見えてくると思います。 シェフィク・カフラマンカプタン 2018年12月2日 http://www.sanattanyansimalar.com/can-cakmur-sanat-dunyanin-guzel-yuzu-birlestirici-gucu/4089/ シェフィク・カフラマンカプタン Şefik Kahramankaptan プロファイル(トルコ語)
『トルコ まちの市場で買いものしよう』 鈴木郁子
アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう 玉川大学出版部から、子ども向けの写真絵本が出版される。 『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』 著者は鈴木郁子さん。 書籍の詳細については玉川大学出版部のページを参照されたい。 著者の鈴木さんは、「日本の子どもたちに『トルコってなんだかおもしろい国だ。』と思ってもらいたい」との願いを持って書いたと話す。 フルカラーの40ページで、大人にも楽しい一冊になっている。挿画は藤原ヒロコさん。 アジアとヨーロッパが交差するトルコの大都市イスタンブール。各地で週一回市が立つ。この本では「火曜日に開かれる市場に買いものに行って、夕ごはんをつくってみよう!」がテーマとなっている。野菜にくだもの、チーズや食器、くつした、下着、かつらまで何でもあるトルコの市場の雰囲気が楽しめる一冊。 ご購入は 又はアマゾンジャパンにて
鈴木郁子 プロフィール
鈴木郁子 プロフィール 鈴木郁子(すずきいくこ)は、トルコ語の通訳、翻訳家、近・現代トルコ文学研究。東京都生まれ。トルコのマルマラ大学大学院修士課程を終了後、日本でトルコ語、トルコ文学に関わる活動を続ける。著書に『アジアの道案内トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部、2017)。 略歴 成蹊大学文学部日本文学科を卒業後、出版関係の会社に勤務する。その後、現代トルコ文学に興味を持ち、渡土。トルコのイスタンブルで、トルコ語語学学校を修了。2008年から、マルマラ大学大学院のトルコ学研究所の近・現代トルコ文学室に籍を置き、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『Ahmet Haşim’in Şiirlerinde Japon Haiku Estetiğinin Tesirleri(アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響)』。 帰国後も、近・現代トルコ文学研究、翻訳、通訳、講師など、トルコ語に携わる。児童書を含め、トルコ文学を日本に紹介するため活動している。 2017年、『アジアの道案内トルコ まちの市場で買いものしよう』が玉川大学出版部より刊行された。 ブログ紹介 本が好きなすべての人へ
芸文館 イスタンブールで学ぶ日本の芸術
芸文館 Japon Sanat Merkezi イスタンブールのアジア側にある芸文館Japon Sanat Merkeziは日本とトルコを芸術でつなぐ存在である。 墨絵や日本画のクラス、日本とトルコの芸術家たちによる共同作品展などの文化活動を積極的に実施。 2016年の5月には町田市立国際版画美術館にてArtTurkeyJapan2016の名でトルコ人芸術家たちの作品展を予定している。楽しみですね。
バヤンヤヌ トルコの風刺かわら版
バヤンヤヌ トルコの風刺かわら版 バヤン・ヤヌはトルコ語で‴女性の隣‴を意味をする言葉。 元々は長距離バスなどのチケット売り場で使っていた表現。 知らない男性の隣での長い旅を辛く感じる女性に、バヤン・ヤヌ(他の女性客の隣の席)を挙げるのはバス会社のセールストークの一つであった。 この雑誌はバス会社と何の関係もないものの、中身を見ると女性の漫画家やエッセイストばかり。 女性の目線で見たトルコが楽しめる。 月刊誌 全32ページ 値段 6リラ (約240円)2015年9月現在 紹介したいのは2015年9月号 3ページ 左上の緑のごみ箱に四つの穴がある:金属類、紙類、プラスチック類、女 (イスタンブールで殺害された女性の死体の一部がごみ箱から見つかって、殺人が男性の友人だったことが判明した。このニュースを受けての風刺) 表紙 シーリアからの難民がトルコ経由でヨーロッパに流れ、地中海のリゾート地海岸などで命を落とした難民も多かった。雑誌の表紙はこの問題をテーマにしている。 男の子:(アラビア語の文字で)助けて!(トルコ人が分かるよう右下に訳が書かれてある) 女性:なんてひどいこと。どこもアラブ人だらけ! 男性:9月の海は静かだと言ってたのに。 12-13ページ こちらに小さなストーリーが描かれている。 一年ぶりに別荘に戻るイペックが、家の中で自分の写真を見つめているハリルに会う。ペンキ屋だが、この写真がお気に入りで、時々入って観賞するとのこと。 自分より自分の写真に恋を感じる彼はイペックが今まであったことのないタイプの男で、。。。 裏表紙 ご近所同士の楽しい会話がテーマになっている。 太り気味な体系が現実的で可愛い。 右に宣伝されているのは女性漫画家フェイハン・ギュヴェルの新作Elalem ne der? (世間に知らされたらどうなる)