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『無垢の博物館』オルハン・パムク
『無垢の博物館』 Masumiyet Muzesi 上、下 早川書房 2010年 オルハン・パムク(著) 宮下遼(翻訳) <あらすじ(上)> 「ノーベル文学賞受賞後第一作! 全世界絶賛。『わたしの名は「紅」』 『雪』に続く、世界最高の語り部の最新傑作。 三 十歳のケマルは一族の輸入会社の社長を務め、業績は上々だ。可愛く、気立てのよいスィベルと近々婚約式を挙げる予定で、彼の人生は誰の目にも順風満帆に 映った。だが、ケマルはその存在すら忘れかけていた遠縁の娘、十八歳のフュスンと再会してしまう。フュスンの官能的な美しさに抗いがたい磁力を感じ、ケマ ルは危険な一歩を踏み出すのだった――トルコの近代化を背景に、ただ愛に忠実に生きた男の数奇な一生を描く、オルハン・パムク渾身の長篇。」 <あらすじ(下)> 「これは不倫か? 純愛か? 男は婚約中にもかかわらず、美しい遠縁の娘との 情事に溺れていく。狂気に彩られた愛の物語。 「これから、わたしたちはどうなるの?」二人の愛する女から突きつけられたこの言葉に、ケマルは答えをもたなかった。彼の心はスィベルとフュスンの間を揺 れ動き、終わりのない苦悩に沈む。焦れた女たちはそれぞれの決断を下すのだが……。ケマルは心配する家族や親友たちから距離を置き孤立を深める。会社の経 営にも身が入らず徐々にその人生は破綻していく――トルコ初のノーベル文学賞作家が八年の歳月を費やして完成させた最新傑作、待望の邦訳。」 購入はアマゾンから (順に上、下巻) 関連記事 ・雪 Kar【新訳版】上・下 ・白い城
鈴木郁子 プロフィール
鈴木郁子 プロフィール 鈴木郁子(すずきいくこ)は、トルコ語の通訳、翻訳家、近・現代トルコ文学研究。東京都生まれ。トルコのマルマラ大学大学院修士課程を終了後、日本でトルコ語、トルコ文学に関わる活動を続ける。著書に『アジアの道案内トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部、2017)。 略歴 成蹊大学文学部日本文学科を卒業後、出版関係の会社に勤務する。その後、現代トルコ文学に興味を持ち、渡土。トルコのイスタンブルで、トルコ語語学学校を修了。2008年から、マルマラ大学大学院のトルコ学研究所の近・現代トルコ文学室に籍を置き、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『Ahmet Haşim’in Şiirlerinde Japon Haiku Estetiğinin Tesirleri(アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響)』。 帰国後も、近・現代トルコ文学研究、翻訳、通訳、講師など、トルコ語に携わる。児童書を含め、トルコ文学を日本に紹介するため活動している。 2017年、『アジアの道案内トルコ まちの市場で買いものしよう』が玉川大学出版部より刊行された。 ブログ紹介 本が好きなすべての人へ
トルコ音楽の700年-関口義人
トルコ音楽の700年 オスマン帝国からイスタンブールの21世紀へ 単行本 – 2016/10/14 関口義人 (著) まるごと1冊「トルコ音楽」の本が登場! 様々な民族と文化が交差するトルコの歴史をひも解き、アナトリアで花開いた「音楽王国」700年の実像と魅力に迫ります! 古典からラップまで、ジャンルを超えてトルコの音楽を総まとめ。さらにベリーダンスと音楽の関係やジプシーがトルコ音楽で果たした役割など、著者ならではの視点も大いに盛り込まれています! ご購入はアマゾンジャパンから
『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim
『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim 1995年 晶文社 フェリット・エドギュ(著) 木原興平(翻訳) <あらすじ> 舞台はトルコ南東部ハッキャーリ。主人公の青年は、何らかの事情で記憶を失っており、その記憶を少しずつ思い出すように、自らが生きるために必要なことを思い出しながら、それを生徒たちに教えようとする…。 この作品を原作とした映画「ハッカリの季節」は1983年にベルリン映画祭において銀熊賞、国際評論家連盟賞を受賞し一躍有名になり日本でも翌年公開された。 著者についてはこちら 購入はアマゾンから 関連記事 ・『イスタンブール短編集』 ・トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
写真集シルクロード―ローマへの道 (6) コーカサス・シリア・トルコ・ギリシャ・イタリア
写真集シルクロード―ローマへの道 (6) コーカサス・シリア・トルコ・ギリシャ・イタリア 1984年 NHK取材班(著) 大塚清吾(翻訳) <内容> 古くから商業の途絶えることのなかった絹の道、シルクロード。アジア世界とヨーロッパ世界をつないだこの道をテーマに作られたこの写真集においても、トルコは非常に重要な位置を占めている。 ご購入はアマゾンから 関連記事 ・写真集 TURKEY:The Land of the Crescent Moon ・Istanbul: City of a Hunderd Names
オルハン・パムクを読むキーポイント
オルハン・パムクを読むキーポイント by 岩永星路 & 岩永和子 オルハン・パムクの小説にはいくつかの共通する特徴があると考え、まとめてみたものをご紹介します。ご意見ご感想をお待ちします。 1.東西という基軸 2.こだわりとあきらめ 3.古いイスタンブールと古さびたイスタンブール 4.変わるもの変わらないもの 5.自分が決めると信じている人生と予め決まった人生 1.東西という基軸 (Doğu Batı) 「東」とは 西洋教育を受けながら、歴史的に「西」と対立してきた地に生きる者の目に映る「東」。 著者だけでなく、この地を舞台とする小説の主人公たちもまた、「西」を意識している。西洋の卓越性を認め、惨めな気持ちに苛まされる。西洋で生きた経験はなく、「西」への好奇心が最も重要な関わりである。 「西」とは 「東」の人間が見る、見ることができる「西」。新しさと進歩を意味し、「東」とは異なり「西」の人間は何かに異議を唱え、それを変えることができる。「東」の人間は異議を唱えるだけで新しいことを成し遂げたと勘違いし、自分が進歩的人間であると思う。例えば、『ジェヴデト氏と息子たち』に登場する兵士は商人の兄を軽蔑するが、その実、兄の援助なしには生きられない。 2.こだわりとあきらめ (Takıntı Boşvermişlik) -こだわり 小説の主人公は、自分の周囲のありとあらゆるものを細心の注意を払って観察し、気づく。そして気づいたことは決して忘れず、その発見を別の場所で別のことと結び付けて考える。この観察力は多くの場合、執着の相を呈するまでになる。 -あきらめ 主人公には意識的なあきらめが見られる。「こうなることはわかっていたんだ。流れにはさからえないさ。」という考え方がそこここに表れている。主人公が常に行動しているように見えるのは、世界もしくは自分の未来が変えられると信じているからではなく、こだわりから逃れられず、そのこだわりが自分にとってごく自然な愛すべきものであり、刺激的であることと関連している。 -現代人の救いのなさ (Çağdaş insanın çaresizliği) 「こだわりとあきらめ」という基軸は、現代人の救いのなさを表したテーマである。教育を受けた人間の運命主義ともいえる。テレビや新聞などから世界情勢に通じた都市の教養人は、現行の世界システムを変えることはできないことを知りながら生きているのだ。 3.古いイスタンブールと古さびたイスタンブール (Eski İstanbul Eskimiş İstanbul) 「パムクのイスタンブール」は、大都市イスタンブールのたった3つの地区だけが焦点となっている。それは①歴史地区(旧市街)、②ガラタ地区(新市街)、③ボスフォラス海峡沿いを指す。歴史小説は①と②、自伝的著作は②と③が舞台となっている。その他の場所はあまりにも無視されているため、例えば『赤い髪の女』では、この3つの地区以外の場所は終始主人公が理解しようと努力する外国のように扱われている。 ①は「昔」と「東」を映し、②は新しかったがもはや古さびてしまったイスタンブールの「西」の顔を表す。そして③は「西」に憧れる「東」の人間の住む場所である。パムクはイスタンブールの路地を、そこに立つ家々を、さらにはその中にある家具を描写する。これらはかつて人が作り古くなったものである。草木、花、鳥など、再生を繰り返す自然界が描かれないため、すべてがもともと古いか、または時を経て古さびたものになる。そのため、もの悲しさが感じられる。(hüzün) 4.変わるもの変わらないもの (Değişme Değişmeme) 主人公の生活において多くの詳細が描かれるため、読者は常に新しい事件が起きていると思いながら読み進むが、ある時点で実は何一つ変わっていないことに気づく。これは一人の人間の生涯に関してのみならず、世代についてもそうである。『ジェヴデト氏と息子たち』では、トルコ共和国建国後に生まれた第三世代が、成長してなおオスマン帝国時代を、祖父の代の論点で議論している。また『雪』では、様々な政治や宗教の信条を支持し、それぞれ全く異なった目的意識を持っているかに見える人々が、テレビで大人気のブラジルの連続ドラマが始まるや、同じ画面の前に集まる光景が描かれている。 5.自分が決めると信じている人生と予め決まった人生 (Kendi Hayatın Sandığın Hayat – Sana yazılan (biçilen) Hayat) 自分の周囲を自覚的に観察し、すべてに気づく主人公たちは、小さな決断により自分の人生を自分で切り開いていると感じる。しかしうまくはいかない。結局は違った人生を生きることになる。何が違っているのか。自らが考え、わが人生と思った人生と違う。だがそもそも、自分の置かれた状況や与えられた条件を見れば、こうなるのは必至だった。これは運命のようなものだ。自分たちの人生は元から決まっていたのだ。彼らは必死に努力するが、結局はこの運命を見つけるに至るのである。 主人公は夢見た人生が実現しなくとも、与えられた道を進みながら幸せになれる。何はともあれ、やらなければいけないと考えたことをやっているのだから。