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Türkler İçin Tokyo Gezi Rehberi – Tokyoda Görülecek 10 Yer! (3) Omotesando
Tokyo gezisinin bu bölümünde Love Turkey ofisinin de olduğu Omotesando bölgesini geziyoruz. Tren bağlantıları için işinize yarayacak sayfaları tekrar verelim:https://world.jorudan.co.jp/mln/en/?sub_lang=nosubhttp://www.hyperdia.com/en/ 3 Omotesando Tokyonun moda merkezlerinden Aoyama bölgesinin tam ortasından geçen bu cadde Paris Şanzelize cadesinin Tokyo karşılığı. Hem dünyaca ünlü markaların mağazaları hem de gezen insanlar pek şıktır.Varış:Metro ile Chiyoda, Ginza ya da Hanzomon hatları…

対談記事 オルハン・パムク
対談記事 オルハン・パムク 作家オルハン・パムクはいわゆる「アルメニア人虐殺」はあったという発言の後、ノーベル文学賞を受賞した。このためトルコでは彼を純粋な文学者と見るのは難しい。トルコで事件があるたびに彼の意見が求められているが、いつも批判の的になる。新作がテーマのはずのこの対談でも、政治に関する言及が多くまた読者のコメントも非常に政治的で大部分は批判的である。 ヒュッリイェト紙に許可を頂き、日本の学生や研究者の方々の参考にして頂ければと思い、トルコ語日本語対訳で記事を掲載します。 Orhan Pamuk: Bizi Terk eden bir babayla büyüdüm オルハン・パムク「僕らを置いて出て行った父に育てられた」 2016年1月30日 ヒュッリイェト紙 文章:Çınar Oskay チュナル・オスカイ 写真:Sebati Karakurt セバーティ・カラクルト 日本語訳:岩永実奈、岩永和子、岩永星路 オリジナル記事:Orhan Pamuk Interview Hurriyet PDF形式で全文書をダウンロードできます: Orhan Pamuk Roportaji PDF olarak Orhan Pamuk yeni romanı ‘Kırmızı Saçlı Kadın’da büyük efsanelerin, destanların kaderimizi nasıl etkilediğini yazmış. Binlerce yıldır yeryüzünde yaşamış tüm insanların suçluluk duyguları, korkuları nasıl oluyor…

作家 セルダル・オズカン
セルダル・オズカン Serdar Ozkan (1975年8月‐)イスタンブール出身。大学で渡米、経営学や心理学を学んだ後、2002年より執筆に専念。 彼のデビュー作であり代表作となった「The Missing Rose(失われた薔薇)」は44か国語に翻訳され65か国以上で出版、多くの国でベストセラーとなった。 オズカンの代表作「失われた薔薇」詳しくはこちら Serkan Ozkanホームページ 関連記事 ・アズィス・ネスィン ・サイト・ファーイク・アバズヤヌク

ハスレット トルコの風俗新聞
ハスレット Hasret トルコの風俗新聞 世界で最もイスラム教徒の割合が高く、現政権もイスラム系であるにも関わらず、このような新聞が街角で売られていることは興味深い。ハスレットとはトルコ語で「切望」。 週刊誌 全24ページ 値段1.5リラ(約60円)2015年10月現在 紹介するのは2015年10月3日版 表紙 左:イギリス人モデルSophie Deeは近頃仕事がもらえなくて1文無しに。 右:カナダ美人Jenny P.がベッドでは制限なし! 2ページ 出会いを求める人々の自己紹介 ページ。例えば左上「今週のさみしい人」と題するメッセージには「はじめまして。僕はデニズリ出身のビュレント。46才、身長175cmの独り身です。35-40歳の、素直な女性と結婚したいと思っています。もしもいらっしゃったら僕の番号はこれです。電話してください、会いましょう。男性はお断り」 3ページ セクシーモデルがモデル事務所で働く元彼の嫌がらせのせいで無職だと告白 4,5ページ 6ページ(中央赤字)「セックスは心臓発作の確立を上げたりはしない!」 7ページ「ゴーストタウンで撮影」 8ページ 「鉄格子より」受刑者専用のページがあることは驚きである。 このページでは、受刑者が自らの体験を書いたり詩を紹介したり。 例えば8ページ下部の短い詩は 「君が僕を拳銃で撃っても(辛くあたってもの意) 僕は君にバラを贈り続けるだろう この愛の武器で 君の心を打ちぬく 僕のバラ、愛する人よ」 9ページ 「鉄格子より」つづき。右下には出会いを求めるメッセージも 「僕の詩を読んで下さった女性のみなさん、こんにちは。(中略)僕と寂しさを分かち合ってくれる女性と文通したいと思っています。(牢屋の)内側の人でも外側でも、前向きな女性のお友達からの手紙を待っています。ちなみにカイセリ出身です。 バルトゥン刑務所」 12,13ページ 14,15ページ 16ページ(左中央)「ロボットとはセックス禁止」 18ページ 12星座占い 19ページ 「世界の人々の光景」 20ページ…

Kolay Türkçe Kolay Japonca by Love Turkey – Tanışma 知り合いましょう
-Merhaba, benim adım (ismim) Aysun. こんにちは。私の名前はアイスンです。Watashi no namae wa Aisun desu. -Merhaba, benim adım (ismim) Kağan.こんにちは。私の名前はカアンです。Konnichiwa, watashi no namae wa Kaan desu. -Merhaba, benim adım Ayça. Sizin adınız (isminiz) nedir?こんにちは。私の名前はアイチャです。お名前は。Konnichiwa. Watashi no namae wa Aicha desu. Onamae wa?(anata no namae wa = onamae wa)-Merhaba, benim adım (ismim) Okan. Memnun oldum.こんにちは。私の名前はオカンです。どうぞよろしく。Konnichiwa. Watashi no namae wa Okan…

ジャン・チャクムルが語る浜松国際コンクールの全て
このインタビューはアートをテーマにしたトルコのブログ「芸術の木霊」(Sanattan Yansmalar)により、2018年12月2日にドイツのヴァイマールで行われたものです。 ジャン・チャクムル 「芸術は世界の美しさの表れであり、世界をひとつに結ぶ力を持っている」 コンクール参加を決めた経緯は?怪我をした指をどうやって治したのか?コンクールから得たものは?誰から優勝を祝ってもらった?2019年はどんな年になりそう?このインタビューで全てが語られる。 第10回浜松国際コンクールで優勝し、クラシック音楽界で大きな飛躍を遂げたジャン・チャクムルは1997年生まれ。中東工科大学付属高校卒業後、現在はフランツ・リスト音楽大学で最終学年に在学中である。コンクール後は、肉体的にも精神的にも疲労困憊して日本からドイツのヴァイマルへ戻ってきた。にもかかわらず、我々と会う時間を作り、質問に答えてくれた。ジャンの今後ますます増えるだろうコンサート活動と、音大生としての勉学の成功を祈る。 Q スコットランドピアノコンクールで優勝してから、世界中の権威あるコンクールの情報を集めはじめたの?それとも誰かがアドバイスしてくれるのかな? A ネット時代に生きる僕たちは、世界中のすべての出来事をフォローできるので、幸運です。大きなピアノコンクールは開催時期が決まっているので、誰もがほぼすべてについて、いつ行われるかを把握しています。浜松のコンクールに出たいという考えは、2015年からずっと頭の片隅にありました。 Q では、出場はどうやって決めたのかな? A 実のところ、スコットランドでのコンクール後、出場しようかどうか迷った時期があり、先生方にも相談しました。ただ、この2つのコンクールは開催地も遠く離れていますし、浜松が国際的にも権威があることから、出場を決意しました。大きなコンクールにはどれも30歳以下という年齢制限がありますから、この12月で21歳になる僕には、一番多くてあと3回出場の機会が残されていることになります。 Q 出場者に顔見知りの人はいたの? A ピアニストの世界はかなり狭いですよ。コンクール出場者88人中少なくとも20人は知っていました。このうちの数人は仲のいい友人です。初めて会った人たちとも、すぐに仲良くなりました。 Q 11月7日から始まったコンクール期間はかなり長かったね。初めて訪れた国の慣れない環境のもと、手ごわいライバルに囲まれて、この期間がどんなだったか聞かせてくれるかな。 A コンクール期間は、それ以前の準備期間に比べると、かなり快適に過ごせました。久しぶりに友達たちと再会する機会になりましたし。日本文化と生活スタイルに慣れるには何日かかかりました。トルコ文化、そしてヨーロッパ文化とは全く違いますね!でも何といっても和食は本当に素晴らしいです。すぐに好きになり、帰りたくないと思ったくらいです。 コンクールのレベルが高いので、やる気がますます高まりました。あれほど刺激的なミュージシャンたちと同じ場所にいられること自体が幸せなことです。ストレスを感じるどころか、参加できて本当に幸運だと気づかされました。 選考が数日か間を置いて行われたことが、出場者にとって良かったのか悪かったのかはわかりません。通常コンクールの予選は1日おきに行われて、早く終わります。浜松の場合、選考過程がもっとずっと長く続きます。長い準備期間があったのは確かですが、まさにこの理由で心理的には長期間自分をコントロールしなければなりません。期間が長くなればなるほど、集中力を保つのも難しくなり、肉体的にもストレスが増して、厳しくなってきます。 つまり、期間中は、本当に疲れました。でも、ステージに立って、そこで演奏できることは本当に楽しかったです。 Q 指を痛めたそうだけれど、どうしてそんなことに?コンクールを棄権することは考えた?指の治療はどうやったのかな? A ピアニストの中には慢性的にこの問題に悩まされる人たちがいます。立て続けにコンサートがあり、いつも以上に練習すると、指と爪の間の肉が離れてしまうのです。日常生活には困りませんが、ピアノの演奏には妨げとなります。普段ならば数日練習せずに指を休ませることで問題は解決しますが、コンクールの最中に、しかも第三次予選に残った時点ではそんなことはできませんでした。このようなときのためにといつも持っている薬用のクリームがあるのですが、指が痛くなる前に日本のどこかで無くしてしまいました。日本でこのクリームと同様のものがあるとわかりましたが、病院で医師の診察の後しかもらえないと聞いて本当に困りました。すると、コンクール出場を機にコンタクトをとるようになったトルコ大使館の駐日トルコ大使ムラト・メルジャン氏が、奇跡的なことに僕が使っているクリームと同じものを大使館内で見つけ、すぐに東京から浜松に送ってくださいました。これがどれほど役に立ったか!今一度お礼申し上げます。第三次予選まであと2日しかなく、その1日目は指の痛みからピアノを触ることさえできませんでした。演奏できないのではないかと心底怖かったです。ですが、緊迫した場面で人間の体には信じられないことが起こります。普段なら治るのに4-5日はかかるのですが、緊迫感と、もちろんクリームのおかげもあって、1日経つとよくなった、というか、少なくとも痛みを感じなくなってきたのです。 Q 室内楽で共演した演奏者たちについての感想を聞かせてくれる? A 言うことなしの素晴らしいミュージシャンたちです。リハーサルには50分という短い時間しか与えられていませんでしたが、彼らの卓越した順応能力のおかげで、演奏は格段によくなりました。本番での演奏にもみんなが満足できました。そして何よりも、みんなが楽しく演奏できたのです。それでも、リハーサル時間があと1時間あったらと思わずにはいられませんが…。 Q コンクール中一番緊張したのはいつかな? A 難しい質問です。そもそも緊張するというのはふさわしい言葉なのかどうか。なぜならコンクール中はあまりに目まぐるしくて、緊張する暇さえないのです。でもやはり、第一次予選は僕にとっては一番きつく感じられました。まだ一次予選なのに1500席のチケットが何週間も前に完売されているホールで、未経験の音響下で、初めてのピアノで演奏するのですから。それに加えて一次予選そのもののストレスもありました。出場者全員が最高レベルの88人のピアニスト中、予選の結果64人が次に進めなくなるのです。そして、出場者に与えられた20分の演奏時間は実に短い。本当の自分の演奏ができる前に終えなければならないのです。 Q 本選で日本人4人、韓国人1人と競うことになり、コンクールが日本で行われていることから、優勝の望みはないと思ったことは? A それは全く考えませんでした。僕は、賞をとるためにコンクールに出ようという人はいないと思っています。コンクール中は厳しい日々が続きます。ピアノを弾くこと、美しい音楽を作り出すことに全神経を集中しなければならず、実際そうしています。このような状況下では、勝ち負けは頭をよぎることさえないのです。そもそも、本選出場者が発表されたとき、友人から言われるまでは、日本人、韓国人でないのは僕だけだということに気づいてさえいなかったのです。 Q ピアニストが国際的に認められ、演奏依頼を受けるようになるにはきっかけが必要だね。コンクールはその最たるものだけど、浜松で優勝したことで、道が開けたと思う? A もちろんです。今の段階だけでも、大きな依頼を受けています。BIS社で収録するCDは全世界で売り出されますし、東京交響楽団とのコンサートツアーやロンドンのバービカン・センターでのコンサートなどがあります。そして、演奏依頼が何年間にも渡って継続的に来ているということが重要なのです。 Q 優勝だけでなく室内楽賞も取ったのだから、これからは忙しくなるね。スコットランドピアノコンクール勝者としてのコンサートがあり、浜松の優勝者ツアーも始まるわけだから。どうやって準備するの? A 優勝者に与えられた賞の1つで、たぶん最も重要なのが、ロンドンのIKON Arts Management社との契約が始まったことです。この会社と日本の関係団体の幹部の方々が集まって、本選の翌日から何度か会合が持たれました。その結果、充実したスケジュールが組まれ、これで第一歩を踏み出したのです。1月には日本でBIS社とCD収録があります。それから2月末までは比較的時間があります。この間に、翌月から演奏する曲の準備をするつもりです。3月からは、スコットランドでロイヤル・スコティッシュ管弦楽団とのコンサートから始まり、4月以降はタイトなスケジュールでコンサートが続きます。スコットランドコンクール優勝でいただいたコンサートと浜松勝者に与えられがコンサートが重なり、今の段階ではいくつになるのか僕にもわかりません。例えば7月末までに日本で15回ほどコンサートが予定されています。来年のスケジュールが確定するのは12月末になります。 Q 今月イタリアでコンサートがあるらしいね。 A 来週モデナとフェルモでリサイタルがあります。1月からは日本でCD収録が始まるのです。 Q 偶然訪日中だった文化観光大臣と会う機会があったそうけれど、どうだった?大臣からの祝福の言葉のほかに、トルコ政府の反応はどうだったのかな? A コンクール後にも予定があったので、11月28日まで日本に滞在しました。この期間に駐日トルコ大使ムラト・メルジャン氏のお計らいで、文化観光大臣メフメット・ヌーリー・エルソイ氏に東京でお目にかかりました。また、文化観光大臣メフメット・ヌーリー・エルソイ氏と教育大臣ズィヤー・セルチュク氏がお祝いのメッセージをソーシャルメディアで発信してくださいました。トルコで、そして世界中でそうですが、我々は分極化した時代を生きています。僕は、芸術は世界の美しさの表れであり、世界をひとつに結ぶ力を持っていると強く信じています。感性に満ちた心は、周囲の人間の心に働きかけ、ともに鼓動させるのです。 Q 今後出場を考えているコンクールは? A 難しい質問ですし、時期尚早です。浜松で優勝したことで、生涯ずっと定期的にコンサート活動が続けられる可能性が生まれました。今言えるのは、今後3年間がとても忙しくなるということです。それから後のことは、いずれはっきり見えてくると思います。 シェフィク・カフラマンカプタン 2018年12月2日 http://www.sanattanyansimalar.com/can-cakmur-sanat-dunyanin-guzel-yuzu-birlestirici-gucu/4089/ シェフィク・カフラマンカプタン Şefik Kahramankaptan プロファイル(トルコ語)