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クリミア・タタール語雑誌 Bahçesarayバフチェライ
BAHÇESARAY クリミア・タタール語雑誌 Crimean Tatar magazine Bahçesaray 紹介するのは2016年4月日付の75号 表紙は2016年度ユーロビジョンソングコンテストでクルミア・タタール語の歌でウクライナを代表して見事に優勝したジャマラさん。民族服装のこの若い女性は今やクリミア・タタール人の間で英雄的な存在だ。 バフチェサライとはクリミア班国の首都であった街で、クリミア・タタールの王様(ハーン)たちが何百年も使用していた宮殿や学校など色々な歴史的な建物が残っている。ソ連時代にクリミアの地名は全てロシア語に変えられましたが、ロシア文学の嚆矢ともいえる詩人アレクサンドル・プーシキンが「バフチェサライの泉」という詩を残したお蔭で、この町だけがクリミア・タタール語の名前のまま残っている。 紹介する雑誌はイスタンブール在住のクリミア・タタール人協会の会報で、消滅危機言語であるクリミア・タタール語で刊行されている唯一の雑誌である。それでも、ほとんどのページがトルコ語で、クリミア・タタール語は10ページのチェレビ氏の詩の部分と12ページの昔話だけになっている。トルコ語が属するオグズ語群とキプチャク語群の中間の可愛い言葉だ。 広告主のウルケルはゴディバを買収したトルコの大企業で、創業者はクリミア・タタール人であった。 その故、クリミア・タタール人コミュニティの大きなスポンサーになっている。 Tags: Crimean Tatar magazine Bahcesaray Ukraina
アフメット・ハムディ・タンプナル Ahmet Hamdi Tanpinar
アフメット・ハムディ・タンプナル Ahmet Hamdi Tanpınar (1901年6月23日‐1962年1月24日)トルコの小説家、短編小説家、詩人、教師、翻訳家、文学史学者、政治家。 トルコ共和国の教師第一世代の一人であった彼は、「Bursa’da Zaman(ブルサで時間は)」という詩で一躍有名になった詩人である。学者や翻訳家など多くの顔を持つ彼の代表作は「Huzur(心の平安)」と「Saatleri Ayarlama Enstitusu(時間調整研究所)」という二つの小説である。 日本語で出版されているタンプナルの著作としては『心の平安(Huzur)』がある。 『心の平安 (Huzur)』詳しくはこちら Wikipedia 関連記事 ・オルハン・パムク ・オスマン・ネジュミ・ギュルメン
アズィス・ネスィン
アズィス・ネスィン Aziz Nesin (1915年12月20日‐1995年7月6日)イスタンブール出身。トルコの風刺作家、詩人。100以上もの作品を世に出し、世界中で翻訳され読まれている、トルコを代表する作家。 日本語で出版されているネスィンの作品としては『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』がある。 『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』詳しくはこちら 彼は政治的アクティビストでもあった。そのきっかけとなったのは1980年のクーデタにより、知識人排斥の機運が高まったことであった。彼は仲間の数名の知識人と共に、当時政権にあった軍部に立ち向かい、「Aydinlar Dilekcesi(知識人の請願)」を発したことで有名になった。彼はまた、トルコ作家組合の長でもあった。 彼はイスラムへの強い批判でも知られる人物である。彼はサーマン・ルシュディーの「悪魔の詩」(1988年発表、預言者ムハンマドを題材とした小説)をトルコ語に翻訳した。この小説はイスラム世界では冒涜的だと受け取られ、アズィズ・ネスィンも強く非難を受けた。 1993年7月2日、アナトリア中央に位置するシヴァスのホテルでアズィス・ネスィン含む多くの知識人が一堂に会し会議をしていたところ、ホテルに火がつけられ避難路が塞がれるという、いわゆる「シヴァス大量殺人事件」が起きた。この時、アズィス・ネスィンは危機一髪非難に成功するが、37人もの文化人が命を落とした。この事件はのちに、トルコのイスラム原理主義とその「冒涜者」の対立ではないかとされた。 関連記事 ・オルハン・パムク ・サイト・ファーイク・アバスヤヌク
海難1890-ノベライズ本
小松江里子脚本、豊田美加著『海難1890』小学館。 12月の公開が待たれる映画のノベライズ本です。 エルトゥールル号遭難事故とイラン在留邦人救出事件について本書で予習をすれば、より映画を楽しめるのではないでしょうか!(日土会お推薦の本) 内容(「BOOK」データベースより) 一八九〇年、親善訪日使節団を乗せたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、和歌山県串本沖で沈没した。六〇〇名以上が嵐の 海に投げ出される未曽有の大惨事。だが地元住人たちの懸命な救助活動により六十九名の命が救われ、母国トルコへの帰還を果たす。時は移って一九八五年。イ ラン・イラク戦争に伴いフセインはイラン領空の航空機無差別攻撃を宣言。各国は自国民の救出に動くが日本には手立てがない。多くの在留邦人の身に危機が 迫っていた―。日本・トルコ友好百二十五周年記念映画を完全ノベライズ。時を隔てた二つの出来事には、深い絆の物語があった。 DVDもでました!
オルハン・パムクを読むキーポイント
オルハン・パムクを読むキーポイント by 岩永星路 & 岩永和子 オルハン・パムクの小説にはいくつかの共通する特徴があると考え、まとめてみたものをご紹介します。ご意見ご感想をお待ちします。 1.東西という基軸 2.こだわりとあきらめ 3.古いイスタンブールと古さびたイスタンブール 4.変わるもの変わらないもの 5.自分が決めると信じている人生と予め決まった人生 1.東西という基軸 (Doğu Batı) 「東」とは 西洋教育を受けながら、歴史的に「西」と対立してきた地に生きる者の目に映る「東」。 著者だけでなく、この地を舞台とする小説の主人公たちもまた、「西」を意識している。西洋の卓越性を認め、惨めな気持ちに苛まされる。西洋で生きた経験はなく、「西」への好奇心が最も重要な関わりである。 「西」とは 「東」の人間が見る、見ることができる「西」。新しさと進歩を意味し、「東」とは異なり「西」の人間は何かに異議を唱え、それを変えることができる。「東」の人間は異議を唱えるだけで新しいことを成し遂げたと勘違いし、自分が進歩的人間であると思う。例えば、『ジェヴデト氏と息子たち』に登場する兵士は商人の兄を軽蔑するが、その実、兄の援助なしには生きられない。 2.こだわりとあきらめ (Takıntı Boşvermişlik) -こだわり 小説の主人公は、自分の周囲のありとあらゆるものを細心の注意を払って観察し、気づく。そして気づいたことは決して忘れず、その発見を別の場所で別のことと結び付けて考える。この観察力は多くの場合、執着の相を呈するまでになる。 -あきらめ 主人公には意識的なあきらめが見られる。「こうなることはわかっていたんだ。流れにはさからえないさ。」という考え方がそこここに表れている。主人公が常に行動しているように見えるのは、世界もしくは自分の未来が変えられると信じているからではなく、こだわりから逃れられず、そのこだわりが自分にとってごく自然な愛すべきものであり、刺激的であることと関連している。 -現代人の救いのなさ (Çağdaş insanın çaresizliği) 「こだわりとあきらめ」という基軸は、現代人の救いのなさを表したテーマである。教育を受けた人間の運命主義ともいえる。テレビや新聞などから世界情勢に通じた都市の教養人は、現行の世界システムを変えることはできないことを知りながら生きているのだ。 3.古いイスタンブールと古さびたイスタンブール (Eski İstanbul Eskimiş İstanbul) 「パムクのイスタンブール」は、大都市イスタンブールのたった3つの地区だけが焦点となっている。それは①歴史地区(旧市街)、②ガラタ地区(新市街)、③ボスフォラス海峡沿いを指す。歴史小説は①と②、自伝的著作は②と③が舞台となっている。その他の場所はあまりにも無視されているため、例えば『赤い髪の女』では、この3つの地区以外の場所は終始主人公が理解しようと努力する外国のように扱われている。 ①は「昔」と「東」を映し、②は新しかったがもはや古さびてしまったイスタンブールの「西」の顔を表す。そして③は「西」に憧れる「東」の人間の住む場所である。パムクはイスタンブールの路地を、そこに立つ家々を、さらにはその中にある家具を描写する。これらはかつて人が作り古くなったものである。草木、花、鳥など、再生を繰り返す自然界が描かれないため、すべてがもともと古いか、または時を経て古さびたものになる。そのため、もの悲しさが感じられる。(hüzün) 4.変わるもの変わらないもの (Değişme Değişmeme) 主人公の生活において多くの詳細が描かれるため、読者は常に新しい事件が起きていると思いながら読み進むが、ある時点で実は何一つ変わっていないことに気づく。これは一人の人間の生涯に関してのみならず、世代についてもそうである。『ジェヴデト氏と息子たち』では、トルコ共和国建国後に生まれた第三世代が、成長してなおオスマン帝国時代を、祖父の代の論点で議論している。また『雪』では、様々な政治や宗教の信条を支持し、それぞれ全く異なった目的意識を持っているかに見える人々が、テレビで大人気のブラジルの連続ドラマが始まるや、同じ画面の前に集まる光景が描かれている。 5.自分が決めると信じている人生と予め決まった人生 (Kendi Hayatın Sandığın Hayat – Sana yazılan (biçilen) Hayat) 自分の周囲を自覚的に観察し、すべてに気づく主人公たちは、小さな決断により自分の人生を自分で切り開いていると感じる。しかしうまくはいかない。結局は違った人生を生きることになる。何が違っているのか。自らが考え、わが人生と思った人生と違う。だがそもそも、自分の置かれた状況や与えられた条件を見れば、こうなるのは必至だった。これは運命のようなものだ。自分たちの人生は元から決まっていたのだ。彼らは必死に努力するが、結局はこの運命を見つけるに至るのである。 主人公は夢見た人生が実現しなくとも、与えられた道を進みながら幸せになれる。何はともあれ、やらなければいけないと考えたことをやっているのだから。
海鳴り 演劇作品
ユヌス・エムレ インスティトゥート東京からのお知らせです。 このたび、日本大学芸術学部演劇科の学生さん達にエルトゥールル号をテーマとした演劇を上演していただくことになりました。 つきましては以下ご案内申し上げます。またチラシを添付いたしますので、ご参照ください。 ≪海鳴り 演劇作品≫ ◆日時: 2016年3月23日(水) 開場:18:00 開演:18:30~ ◆会場: 日本橋公会堂 ◆参加: 無料 この演劇作品はエルトゥールル号遭難事故の舞台化についての委託研究発表として トルコ人作家、ベフチェト・ネジャーティギルの台本等をベースに新たな作品として 日本大学芸術学部演劇学科の生徒の皆さんにより制作・上演されます。