対談記事 オルハン・パムク
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対談記事 オルハン・パムク

対談記事  オルハン・パムク 作家オルハン・パムクはいわゆる「アルメニア人虐殺」はあったという発言の後、ノーベル文学賞を受賞した。このためトルコでは彼を純粋な文学者と見るのは難しい。トルコで事件があるたびに彼の意見が求められているが、いつも批判の的になる。新作がテーマのはずのこの対談でも、政治に関する言及が多くまた読者のコメントも非常に政治的で大部分は批判的である。 ヒュッリイェト紙に許可を頂き、日本の学生や研究者の方々の参考にして頂ければと思い、トルコ語日本語対訳で記事を掲載します。 Orhan Pamuk: Bizi Terk eden bir babayla büyüdüm オルハン・パムク「僕らを置いて出て行った父に育てられた」 2016年1月30日 ヒュッリイェト紙 文章:Çınar Oskay チュナル・オスカイ 写真:Sebati Karakurt セバーティ・カラクルト 日本語訳:岩永実奈、岩永和子、岩永星路 オリジナル記事:Orhan Pamuk Interview Hurriyet PDF形式で全文書をダウンロードできます: Orhan Pamuk Roportaji PDF olarak Orhan Pamuk yeni romanı ‘Kırmızı Saçlı Kadın’da büyük efsanelerin, destanların kaderimizi nasıl etkilediğini yazmış. Binlerce yıldır yeryüzünde yaşamış tüm insanların suçluluk duyguları, korkuları nasıl oluyor…

『ことだま・イスタンブル』 日本・トルコ 共同著作
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『ことだま・イスタンブル』 日本・トルコ 共同著作

『ことだま・イスタンブル』 日本・トルコ 共同著作 2015年 アルケオロジー・ヴェ・サナト出版 日本からトルコを、トルコから日本を見つめ、2か国、2言語で出版された文芸作品。 2015年に出版された『はじまり』は、日本とトルコ、また両国につながりを持つ芸術家、作家、学者、研究者による共著。各執筆者がそれぞれの立場から見た日本・トルコ両国のつながりや、文化・文芸、歴史などについて綴る。これまで注目されることのなかった二国の文芸的側面に光を当てた珠玉の一冊。 Love Turkey ストアからのご購入はこちら↓ 『ことだま・イスタンブル』 詳しくはこちら        

トルコの小説家
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トルコの小説家

トルコの小説家   ここではトルコの著名な作家を何人か紹介する。日本語で出版されている著作も紹介しているので要チェック!   20世紀半ばに活躍 アフメット・ハムディ・タンプナル     風刺作家といえば彼! アズィス・ネスィン     著作が映画化されたことも話題に フェリット・エドギュ     トルコを代表する女流作家 ラティフェ・テキン     トルコ人初 ノーベル賞受賞作家 オルハン・パムク   なんとデビューはフランス! トルコでも不動の人気 オスマン・ネジュミ・ギュルメン       トルコ現代文学の先駆者 サーイト・ファーイク・アバスヤヌク   トルコ版『星の王子様』の作者 セルダル・オズカン     弁護士から劇作家に転身?! トゥルグット・オザクマン   関連記事 ・トルコの歌手 ・トルコの映画監督

アフメット・ハムディ・タンプナル Ahmet Hamdi Tanpinar
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アフメット・ハムディ・タンプナル Ahmet Hamdi Tanpinar

アフメット・ハムディ・タンプナル Ahmet Hamdi Tanpınar (1901年6月23日‐1962年1月24日)トルコの小説家、短編小説家、詩人、教師、翻訳家、文学史学者、政治家。 トルコ共和国の教師第一世代の一人であった彼は、「Bursa’da Zaman(ブルサで時間は)」という詩で一躍有名になった詩人である。学者や翻訳家など多くの顔を持つ彼の代表作は「Huzur(心の平安)」と「Saatleri Ayarlama Enstitusu(時間調整研究所)」という二つの小説である。   日本語で出版されているタンプナルの著作としては『心の平安(Huzur)』がある。 『心の平安 (Huzur)』詳しくはこちら Wikipedia 関連記事 ・オルハン・パムク ・オスマン・ネジュミ・ギュルメン

『心の平安』 Huzur
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『心の平安』 Huzur

『心の平安』  Huzur 2015年藤原書店 アフメト・ハムディ・タンプナル(著) 和久井路子(翻訳) 著者についてはこちら <あらすじ> 「トルコ近代文学の父」の代表作、ついに完訳! 東と西が出会う都市イスタンブールを舞台に、西洋化とオスマン朝の伝統文化への郷愁との狭間で引き裂かれるトルコの知識層青年の姿を、甘美な恋愛劇と重ねて描きだす。  「僕たちはお互いを愛しているのだろうか、それともボスフォラスを愛しているのだろうか?」 トルコ共和国建国から約十五年、第二次世界大戦勃発前夜におけるイスタンブールの青年たちの物語。 主人公ミュムタズは幼い頃に両親を相次いで喪い、以後は、歳の離れた従兄であるイヒサンに引き取られる。ミュムタズは、歴史家であり東西の文化に造詣の深 いイヒサンを精神面でも父とし、長ずるにつれてオスマン朝時代の伝統文化(文学、芸術、骨董)を深く愛するようになる。研究者となったミュムタズは、博士 論文を書き上げたのち、ボスフォラス海峡を渡るフェリーで、夫と別れたばかりのヌーランと運命的に出会う。意気投合した二人は、イスタンブルの街並みに伝 統の美しさを訪ね歩くなかで愛を深め、ついに結婚の意思を固めるが……。 甘美なラブストーリーと伝統文化の美と神秘、そしてイスタンブルというトポスの魅力が渾然として描きだされた不朽の名作。     購入はアマゾンから     関連記事 ・新しい人生 ・改宗者クルチ・アリ教会からモスクへ  

アズィス・ネスィン
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アズィス・ネスィン

アズィス・ネスィン Aziz Nesin (1915年12月20日‐1995年7月6日)イスタンブール出身。トルコの風刺作家、詩人。100以上もの作品を世に出し、世界中で翻訳され読まれている、トルコを代表する作家。 日本語で出版されているネスィンの作品としては『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』がある。 『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』詳しくはこちら   彼は政治的アクティビストでもあった。そのきっかけとなったのは1980年のクーデタにより、知識人排斥の機運が高まったことであった。彼は仲間の数名の知識人と共に、当時政権にあった軍部に立ち向かい、「Aydinlar Dilekcesi(知識人の請願)」を発したことで有名になった。彼はまた、トルコ作家組合の長でもあった。 彼はイスラムへの強い批判でも知られる人物である。彼はサーマン・ルシュディーの「悪魔の詩」(1988年発表、預言者ムハンマドを題材とした小説)をトルコ語に翻訳した。この小説はイスラム世界では冒涜的だと受け取られ、アズィズ・ネスィンも強く非難を受けた。         1993年7月2日、アナトリア中央に位置するシヴァスのホテルでアズィス・ネスィン含む多くの知識人が一堂に会し会議をしていたところ、ホテルに火がつけられ避難路が塞がれるという、いわゆる「シヴァス大量殺人事件」が起きた。この時、アズィス・ネスィンは危機一髪非難に成功するが、37人もの文化人が命を落とした。この事件はのちに、トルコのイスラム原理主義とその「冒涜者」の対立ではないかとされた。 関連記事 ・オルハン・パムク ・サイト・ファーイク・アバスヤヌク

『口で鳥をつかまえる男 -アズィス・ネスィン短編集-』
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『口で鳥をつかまえる男 -アズィス・ネスィン短編集-』

『口で鳥をつかまえる男 -アズィス・ネスィン短編集-』 藤原書房 2013年   アズィス・ネスィン(著) 護雅夫(翻訳) 著者についてはこちら   <内容(本書解説より)> 「二〇一一年六月、近づく総選挙でトルコの政治は連日過熱気味。そんななか、与論調査で与党公正発展党の支持率が五〇%近いのをみたある著名な劇作家が、「アズィス・ネスィンの基準によれば公正発展党への支持率は六〇%にいくはずだ」と発言し、物議を醸した。これが、「トルコ人の六〇%はバカだ」というアズィス・ネスィンの言葉を受けたものであることは、トルコの人ならば誰でもすぐにわかる。「アズィス・ネスィン的な」という表現はトルコでは色々な場面に使われる。無神論者という彼の宗教的立場を思い出し、非難の言葉にもなるだろう。しかし、多くの場合は「アズィス・ネスィン的」とは、愚かな人々が巻き起こす、悲喜劇的な物事の展開をさしている。地中海性のトルコの人々は、明るくポズィティブだが、その一方でとても自嘲的だ。愚かで呆れた出来事には「これだから、ここはトルコ!」の一言。トルコではよく聞く言葉だ。     アズィス・ネスィンの描いたトルコは、こうした自嘲を常とするトルコの人々にとって、まさに苦笑いして眺める自画像だったのだろう。アズィス・ネスィンはトルコを愛し、憂い、からかい、そして自分自身が「愚かな」トルコ人の一人であることを示し続けた。自身を六〇%の中に見ていたからこそ、人々の共感を得ていたといえよう。この勇気ある作家は今でも、多くの人々の記憶の中で生きている。」 (解説 林佳世子) ご購入はアマゾンから 関連記事 ・最後の授業 ・乳しぼり娘とゴミの丘の御とぎ噺  

作家 フェリット・エドギュ Ferit Edgu
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作家 フェリット・エドギュ Ferit Edgu

フェリット・エドギュ Ferit Edgü (1936年2月24日‐)トルコの短編小説家、詩人、小説家。 トルコ芸術学院絵画科で芸術を学んだ後、パリに留学。帰国後、自身の出版社を設立し、国内外の多くの作品を出版した。彼は様々なジャンルの著作を多数の言語に翻訳して出版したことでも知られている。 日本語で出版されているエドギュの作品としては『最後の授業(Hakkari’de Bir Mevsim)』がある。 フェリット・エドギュ 『最後の授業』はこちら 関連記事 ・トゥルグット・オザクマン ・ラティフェ・テキン

『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim
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『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim

『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim 1995年 晶文社 フェリット・エドギュ(著) 木原興平(翻訳) <あらすじ> 舞台はトルコ南東部ハッキャーリ。主人公の青年は、何らかの事情で記憶を失っており、その記憶を少しずつ思い出すように、自らが生きるために必要なことを思い出しながら、それを生徒たちに教えようとする…。 この作品を原作とした映画「ハッカリの季節」は1983年にベルリン映画祭において銀熊賞、国際評論家連盟賞を受賞し一躍有名になり日本でも翌年公開された。 著者についてはこちら 購入はアマゾンから 関連記事 ・『イスタンブール短編集』 ・トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争

作家 ラティフェ・テキン Latife Tekin
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作家 ラティフェ・テキン Latife Tekin

ラティフェ・テキン Latife Tekin (1957‐)カイセリ出身。トルコで最も影響力のある女流作家の一人。 1983年、彼女の人気作『拝啓ずうずうしい死へ』 Sevgili Arsiz Olumが出版された。彼女の書くファンタジーには、アナトリア地方の民話や伝統が色濃く映し出されている。彼女の作品は、独語、仏語、伊語やペルシャ語などに訳され、海外でも人気が高い。 日本語で出版されているテキンの作品はこちら↓ 乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺 Berci Kristin Cop Masallari 関連記事 ・セルダル・オズカン ・フェリット・エドギュ