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デニズ・ガムゼ・エルグウェン Deniz Gamze Erguven
デニズ・ガムゼ・エルグウェン Deniz Gamze Ergüven トルコ人女流監督 (1978年6月4日-)トルコ、アンカラで生まれ、幼いころにフランスに移民。2008年パリにある国立映画学校la Femisを卒業後、監督、俳優としてキャリアを積む。2015年『裸足の季節』 Mustangで国際映画祭デビュー。その映像美が絶賛され、今後の活躍が注目される若手監督である。 エルギュヴェンの注目作『裸足の季節』 Mustangはこちら 関連記事 ・セミフ・カプランオール ・ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン
「トルコの街角から」釣り人が教えてくれたイスタンブルの楽しみ方 写真家 星野安杏
釣り人が教えてくれたイスタンブルの楽しみ方 イスタンブルでは初雪も降り、冬本番だそうです。冬のイスタンブルというと私は思い出す光景があります。ガラタ橋で釣りをするおじさん達です。「雨にも負けず、風にも負けず」と言いますが、まさに寒い夜に火を焚いてまで釣りをするおじちゃん達の光景に純粋に「なぜ?」と強く思ったのです。 そこで、当時一緒の寮だった友人と一緒にカラキョイに行って一式60TL(当時のレートで3000円程)の安い釣竿を買い、めでたくイスタンブルで釣りデビューすることになりました。親しみやすそうなおじちゃん達に声をかけて、仲間に入れてもらいます。安い釣竿なので全く釣れません。それでも、笑いながらもエサのつけ方から自分の釣りのテクニックまで教えてくれます。時にはラクやエフェスを片手に、缶詰の煮物やチーズをつまみながらトルコの文化や政治、人生相談まで色々なことを話しました。 今思い返せば、おじちゃん達も私も「釣り」という行為よりも、一緒に過ごす「時間」を楽しんでいたのでしょう。魚が釣れるかどうかはあまり問題ではないのです。目の前に広がる海を見ながら、その時間を楽しむことが釣りの醍醐味なのです。私はおじちゃんたちの仲間に入れてもらいましたが、釣りには色々な人が来ています。親子や兄弟、学生やオフィスカジュアルのような格好の人まで。色々なバックグラウンドの人と話せるのも釣りの楽しみの一つです。 釣りを楽しむのはガラタ橋だけではありません。アジア側のウスキュダルでヨルダン人の友人と釣りをした時には、通りがかりの人が釣りを教えてくれました。ベシクタシュも海に近いので釣りを楽しめます。竿を持っていなくても、「お!今日は大漁ですね。」と話すだけで会話が生まれます。釣りをはじめたことで、イスタンブルとの距離感が縮まった気がしました。私が東京に帰って、仕事や満員電車で疲れた時に思い出す「トルコ」はこういう些細な日常の光景だったりします。 留学から日本に帰る時、釣竿は日本に持って帰れないので他のゴミと一緒に玄関に置いておきました。滞在中1匹しか釣れませんでしたが、人生初のマイ釣竿。この釣竿のおかげで出会えた人もいるので、少し愛着があります。そこで大家さんに遭遇。「半年間お世話になりました」とか「今度はいつトルコに来るの?」と他愛も無い話をしていると、ふと大家さんの目が変わりました。「バハル(トルコでの私の名前)、なんで釣りに誘ってくれなかったんだ!」少し寂しそうな顔の大家さん、いつか一緒に釣りをしようと話して別れました。あれ以来、なかなか時間がなくてトルコに行っても釣りはできていませんが、いつかまた挑戦したいと思います。
ハイコ・ジェプキン Hayko Cepkin
ハイコ・ジェプキン Hayko Cepkin (1978年3月11日)アルメニア系のトルコ人歌手、ピアニスト。 オルタナティブ・ロックから美しい旋律主体の曲まで幅広くこなす独自の音楽で有名。 半開きの片目と奇抜なファッションとパフォーマンスで独特な世界観を作り上げている。 ハイコ・ジェプキン「Aldirma Gonul」 ハイコ・ジェプキン「Ölüyorum」 関連記事 ・ハーディセ ・タルカン
カマン・カレホユック遺跡
カマン・カレホユック遺跡 カマン・カレホユック遺跡はトルコの中央部に位置し、首都アンカラから南東約100 kmにある世界中が注目する遺跡群。1985年依頼、日本人調査団が発掘調査を続けている。世界一古い街の遺跡として2010年の上海万博でトルコパビリオンで紹介されたこともある。 近くに日本全国からの寄附により建設されたアナトリア考古学研究所や日本庭園もあり、トルコの中なの小さな日本になっている。 カマン・カレホユック遺跡 カマン日本庭園 発掘をつなぐ絆-カマン・カレホユック考古学博物館 by 大村 幸弘 (財)中近東文化センター附属 アナトリア考古学研究所所長
作家 オスマン・ネジュミ・ギュルメン Osman Necmi Gurmen
オスマン・ネジュミ・ギュルメン Osman Necmi Gurmen (1927年‐)トルコの小説家。主に歴史小説を書く。 彼のデビュー作『L’echarpe d’Iris』はフランス語で書かれ、同国で1976年に出版された。同作は翌1977年にトルコのヒュッリイェト出版によりトルコ語版『Ebemkusagi (虹)』としてトルコでも人気作となった。彼の小説第4作目となった『Rana』は2006年にトルコで出版され、半年以上に渡ってトルコでベストセラー小説となった。 日本語で出版されているギュルメンの著作としては、 『改宗者クルチ・アリ協会からモスクへ(Muhtedi Kiliseden Camiye、 藤原書房 2010年)』がある。 詳しくはこちら 関連記事 ・オルハン・パムク ・セルダル・オズカン
『無垢の博物館』オルハン・パムク
『無垢の博物館』 Masumiyet Muzesi 上、下 早川書房 2010年 オルハン・パムク(著) 宮下遼(翻訳) <あらすじ(上)> 「ノーベル文学賞受賞後第一作! 全世界絶賛。『わたしの名は「紅」』 『雪』に続く、世界最高の語り部の最新傑作。 三 十歳のケマルは一族の輸入会社の社長を務め、業績は上々だ。可愛く、気立てのよいスィベルと近々婚約式を挙げる予定で、彼の人生は誰の目にも順風満帆に 映った。だが、ケマルはその存在すら忘れかけていた遠縁の娘、十八歳のフュスンと再会してしまう。フュスンの官能的な美しさに抗いがたい磁力を感じ、ケマ ルは危険な一歩を踏み出すのだった――トルコの近代化を背景に、ただ愛に忠実に生きた男の数奇な一生を描く、オルハン・パムク渾身の長篇。」 <あらすじ(下)> 「これは不倫か? 純愛か? 男は婚約中にもかかわらず、美しい遠縁の娘との 情事に溺れていく。狂気に彩られた愛の物語。 「これから、わたしたちはどうなるの?」二人の愛する女から突きつけられたこの言葉に、ケマルは答えをもたなかった。彼の心はスィベルとフュスンの間を揺 れ動き、終わりのない苦悩に沈む。焦れた女たちはそれぞれの決断を下すのだが……。ケマルは心配する家族や親友たちから距離を置き孤立を深める。会社の経 営にも身が入らず徐々にその人生は破綻していく――トルコ初のノーベル文学賞作家が八年の歳月を費やして完成させた最新傑作、待望の邦訳。」 購入はアマゾンから (順に上、下巻) 関連記事 ・雪 Kar【新訳版】上・下 ・白い城