「トルコの街角から」 写真家 星野安杏
Love Turkeyに新しい仲間が増えました。写真家の星野安杏(ほしのあき)さんです。今秋からトルコで撮った写真を定期的に紹介してくれます。以下、星野さんの自己紹介文を掲載します。
第4回 もう早いもので、季節は段々春へと向かっています。 早いところでは、春一番がもう確認されていますね。 3月8日は国際女性デー(International Women’s Day)だったということで、一足遅れてますがこの方を。 Şebnem Ferah – Birileri Var (2014) 誰かがいるのだ かなりキャリアの長い女性歌手の一人で通称Şebo、私は個人的に「Şebo姐」と呼んでいたりします。 元々「Volvox」というハードロック女性バンドで活動していたのですが、進学諸々でソロ活動に転じます。 このMVはホラー風味ですが、このシャウトが堪りません。 トルコでは「ロックの女王様」というと、Şebo姐で間違いないようです。 さて、例に漏れずいい曲が沢山あるので、少し紹介しておきます。 Şebnem Ferah – Sil Baştan 人生のやり直し(10 Mart 2007 İstanbul Konseri) これ、とってもイイんですよね( *´艸`) (↑YouTubeで視れる、このコンサートの映像(1時間強)がありますので、興味のある方は検索してください) Teoman – İki Yabancı ft. Şebnem Ferah (2000) 知らない者同士の二人 Teoman氏とのデュエットです。この曲で初めてŞebo姐を認識しましたが…とてもいい曲です。 そして、2人とも若い! (≧▽≦) Birileri VarSen hiç korkma, hiç utanma neysen öyle ol Sen vazgeçme, yine…
ムスタファ・サンダル Mustafa Sandal (1970年1月11日-)イスタンブール出身。POPシンガーソングライター、音楽プロデューサー、ダンサー、実業家、俳優など、様々な顔を持つ。これまでにアルバム売上は2000万枚を超え、トルコを代表する歌手。 少年時代から母国を離れ、高校はスイス、大学はアメリカのニューハンプシャー大学でマーケティングを学ぶが、大学在学中に音楽の道へ進むことを決意しトルコへ帰国。 1994年、『Suç Bende(僕のせいだ)』でデビュー。いきなりCD20万枚、カセットテープ150万本を売り上げ、この年トルコで最も売れたアルバムとなった。1996年、 『Gölgede Aynï(影の中では同じ)』をリリース。こちらは、CD60万枚、カセットテープ250万本を売り上げる。また、このアルバムから「Araba(車)」がヒットする。 1997年、女性歌手・İzelのアルバム『Emanet(預かりもの)』をプロデュースする。1998年、『Detay(ディーテール)』をリリース。「Aya Benzer(月に似て)」がシングル・カットされチャートの首位を獲得。1999年、フランスのソニーと契約。2000年、過去の曲をヨーロッパ・マーケット向けに 再編集した『Araba(車)』をリリースし、世界デビュー。 ムスタファ・サンダル「Araba」はこちら 関連記事 ・ムラト・ボズ ・ベンギュ
トゥルグット・オザクマン Turgut Ozakman (1930年9月1日‐2013年9月28日)アンカラ出身。トルコの官僚、作家、弁護士。 アンカラ大学法学部を卒業後、一時弁護士として働いた後、独ケルン大学演劇学院にて演劇を学び、国立劇団の劇作家となる。その後TRT(トルコのNHKのようなTV局)でキャリアを積む。また、長年母校のアンカラ大学で若い劇作家たちの教育にも注力。彼の50年間のキャリアの集大成として2005年に出版された、トルコの独立戦争をテーマとしたドキュメンタリー小説「Su Cilgin Turkler (この熱狂したトルコ人たちは)」は大変な人気を博した。 これに引き続き、2008年には「Dirilis Canakkale(チャナッカレの再興)」、2009年には「Cumhuriyet Turk Mucizesi(共和国トルコの奇跡)」が出版され、これら三作品は「Turkiye Uclemesi(トルコ三部作)」と称され彼の代表作となった。 日本語で読めるオザクマンの作品はこちら 関連記事 ・オルハン・パムク ・フェリット・エドギュ
イスタンブルのトプカプ宮殿博物館には沢山の日本・中国の陶磁器が保管されている。博物館内の東洋陶磁器部門元責任者セルカン・ゲデュクさんに数多い骨董品の中でも貴重の作品を選んで頂き、その特徴を説明して頂いた。 陶器に象眼を施し、あるいは宝石を埋め込むといった工程は、オスマン宮廷直属の芸術家・職人集団であるエフリ・ヒレフ(Ehl-i Hiref)の宝石細工師や彫刻師によって担われた。16世紀後半以降は、中国由来の陶器に宝石をつけるという工程それ自体が、一つの芸術として成立した。 皇帝は、金や銀でできた器を多く所持していたにも関わらず、食事には陶器を採用した。シンプルで見栄えのしない陶器でさえ、宮廷の趣味に合わせて宝石で装飾が施されたのち登用された。陶器は時を経ても価値は落ちず、たとえ壊れたとしても宮廷の宝石細工師によって修理され、再び利用されるものとしてオスマン帝国時代常に使われた。 中国において今日までに発見された最古の青白陶器は、1351年もので、寺院で使用された花瓶2点である。元王朝期には約200点の陶器が作られていたと推測されており、このうち40点がトプカプ宮殿博物館に所蔵されている。 トプカプ宮殿における中国陶器コレクションの中には、祈りの言葉やコーランの引用が施されているものがある。これらは時に上薬の下に、時には上に描かれていた。いくつかの作品では、祈りの言葉やコーランの引用は完全に解読することはでいない。これは一つには、アラビア語話者でない中国の職人によって作られたことが原因と考えられている。さらに、陶器に魔除けのためになされたデザインであったり数字の配列の意味が秘密にされてきたことから、解読はさらに困難となった。 この類の器はオスマントルコ時代に王族が病気が治る又は病を避けるように使われていた。 ザムザム(メッカの聖水)用瓶・ザムザム用水がめという名前で呼ばれた特別な陶器は、中東の商人のために18-19世紀にかけ中国で製作された。これらの陶器は中国からインドを通りメッカに送られた。メッカにおいて売られたこれらの陶器には、巡礼者によって水がいれられ、各人の故郷に持ち込まれた。エヴリヤ・チェレビ旅行記はこれについて「巡礼者は、聖水を入れた水差しを、すべてのイスラム諸国に縁起の良い土産物として持っていった。これによって、数えきれないほど多くの水差しが町々にもたらされた。」 ザムザム用瓶は、おもに500ml-1Lの水を運ぶことができる。膨らんだ胴体に長い首、外にひらいた口部が特徴である。イスラムにおける偶像崇拝の禁止により、瓶に施された装飾は、上薬の下からコバルトブルーで描かれた水辺の木や花、家、小舟、川、山や丘といった自然の描写であった。陶器の上にはこのほかに、作者の印がみられた。 オスマン宮廷では、蓋つきの陶瓶は花や果物やスパイスを用いて作られ、夏から冬にかけて飲まれるシェルベット(水、佐藤、薔薇水などで作る甘い飲み物)のために使われた。 宮廷内の工房で作られた金や銀、光沢のある銀、トンバック(装飾用黄銅)や真鍮の石座は、16-17世紀には陶器の壊れた部分を直し、または用途を変えるため、18世紀以降は装飾のために作られた。口部、首部、注ぎ口など壊れやすい部分は、宝石や装飾用の金属を用いて修理され再利用された。器や瓶、花瓶などはその用途を変え、オスマン帝国の趣味や使途に合わせたフレグランスディフューザー、洗面器、トルコ風水差しや菓子置き、シェルベット瓶や水筒といったものに変化していった。さまざまな目的で付け加えられた金属は、今日私たちが陶器の使途やその時代の装飾的特徴を理解するのを助けてくれ、またトゥーラや印の保存の意味でも重要な役割をはたしている。 セルカン・ゲデュク Serkan Gedük陶芸研究家イスタンブール大学文学部有形文化財保護修繕学士兼芸術史学士(2005年)ミマール・スィナン美術大学社会学研究所陶芸・ガラスデザイン芸術分野修士(2014年) 2005年文化官公庁トプカプ宮殿博物館局にてコンサベーター・キュレーターに就任2006年から2019年にかけ、トプカプ宮殿博物館にて日中陶磁器部門責任者(主任キュレーター)として働いた。2019年コジャエリ考古民族学博物館館長に就任。ウラルトゥ(トゥシュバ)・ヴァン、エネズ(アイノス)・エディルネ、サムスン(アミソス)等数多くの発掘や水中考古学調査において文化官公庁を代表するとともに発掘調査員としても働いた。磁器の文化と歴史、陶磁器の補修・保全、水中考古学、博物館のマーチャンダイジングおよびリスクマネジメントの面で活躍している。 セルカン・ゲデュクは2019年に東京および京都において開催された「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」にてトルコから派遣された専門家の1人であった。2か月余りの日本での滞在期間中、伝統的な陶磁器の産地を訪問。日本で唯一のトルコ人陶芸家ジェンギズ・ディクドウムシュのアトリエにも訪れ、日本における現代陶芸制作について知見を深めた。[email protected] Serkan GedükPorselen Uzmanı İstanbul Üniversitesi, Edebiyat Fakültesi Taşınabilir Kültür Varlıklarını Koruma ve Onarım ve Sanat Tarihi bölümlerinde çift lisans 2005Mimar Sinan Güzel Sanatlar Üniversitesi Sosyal Bilimler Enstitüsü Seramik ve Cam Tasarımı Anasanat Dalı yüksek lisans 2014 . 2005 yılında Kültür ve…
Japonca öğrenmek kolay değil ama çok eğlenceli. Çinden gelme ve çok çizgili kanji harfleri uğraştırıyor tabii. Ancak bu harfler yüzyıllar önce bir nesnenin resmiymiş , sonra kolay yazım için yalınlaştırılmış. Bazıları hâlâ ilk nesneyi andıyor. Birkaç örnek vereyim eğlencelik. Çok bilinen bir örnekle başlayayım. Bu çam ağacı ve sağdaki harf de ağaç demek. Bu ağacı…