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ジャン・チャクムルが語る浜松国際コンクールの全て
このインタビューはアートをテーマにしたトルコのブログ「芸術の木霊」(Sanattan Yansmalar)により、2018年12月2日にドイツのヴァイマールで行われたものです。 ジャン・チャクムル 「芸術は世界の美しさの表れであり、世界をひとつに結ぶ力を持っている」 コンクール参加を決めた経緯は?怪我をした指をどうやって治したのか?コンクールから得たものは?誰から優勝を祝ってもらった?2019年はどんな年になりそう?このインタビューで全てが語られる。 第10回浜松国際コンクールで優勝し、クラシック音楽界で大きな飛躍を遂げたジャン・チャクムルは1997年生まれ。中東工科大学付属高校卒業後、現在はフランツ・リスト音楽大学で最終学年に在学中である。コンクール後は、肉体的にも精神的にも疲労困憊して日本からドイツのヴァイマルへ戻ってきた。にもかかわらず、我々と会う時間を作り、質問に答えてくれた。ジャンの今後ますます増えるだろうコンサート活動と、音大生としての勉学の成功を祈る。 Q スコットランドピアノコンクールで優勝してから、世界中の権威あるコンクールの情報を集めはじめたの?それとも誰かがアドバイスしてくれるのかな? A ネット時代に生きる僕たちは、世界中のすべての出来事をフォローできるので、幸運です。大きなピアノコンクールは開催時期が決まっているので、誰もがほぼすべてについて、いつ行われるかを把握しています。浜松のコンクールに出たいという考えは、2015年からずっと頭の片隅にありました。 Q では、出場はどうやって決めたのかな? A 実のところ、スコットランドでのコンクール後、出場しようかどうか迷った時期があり、先生方にも相談しました。ただ、この2つのコンクールは開催地も遠く離れていますし、浜松が国際的にも権威があることから、出場を決意しました。大きなコンクールにはどれも30歳以下という年齢制限がありますから、この12月で21歳になる僕には、一番多くてあと3回出場の機会が残されていることになります。 Q 出場者に顔見知りの人はいたの? A ピアニストの世界はかなり狭いですよ。コンクール出場者88人中少なくとも20人は知っていました。このうちの数人は仲のいい友人です。初めて会った人たちとも、すぐに仲良くなりました。 Q 11月7日から始まったコンクール期間はかなり長かったね。初めて訪れた国の慣れない環境のもと、手ごわいライバルに囲まれて、この期間がどんなだったか聞かせてくれるかな。 A コンクール期間は、それ以前の準備期間に比べると、かなり快適に過ごせました。久しぶりに友達たちと再会する機会になりましたし。日本文化と生活スタイルに慣れるには何日かかかりました。トルコ文化、そしてヨーロッパ文化とは全く違いますね!でも何といっても和食は本当に素晴らしいです。すぐに好きになり、帰りたくないと思ったくらいです。 コンクールのレベルが高いので、やる気がますます高まりました。あれほど刺激的なミュージシャンたちと同じ場所にいられること自体が幸せなことです。ストレスを感じるどころか、参加できて本当に幸運だと気づかされました。 選考が数日か間を置いて行われたことが、出場者にとって良かったのか悪かったのかはわかりません。通常コンクールの予選は1日おきに行われて、早く終わります。浜松の場合、選考過程がもっとずっと長く続きます。長い準備期間があったのは確かですが、まさにこの理由で心理的には長期間自分をコントロールしなければなりません。期間が長くなればなるほど、集中力を保つのも難しくなり、肉体的にもストレスが増して、厳しくなってきます。 つまり、期間中は、本当に疲れました。でも、ステージに立って、そこで演奏できることは本当に楽しかったです。 Q 指を痛めたそうだけれど、どうしてそんなことに?コンクールを棄権することは考えた?指の治療はどうやったのかな? A ピアニストの中には慢性的にこの問題に悩まされる人たちがいます。立て続けにコンサートがあり、いつも以上に練習すると、指と爪の間の肉が離れてしまうのです。日常生活には困りませんが、ピアノの演奏には妨げとなります。普段ならば数日練習せずに指を休ませることで問題は解決しますが、コンクールの最中に、しかも第三次予選に残った時点ではそんなことはできませんでした。このようなときのためにといつも持っている薬用のクリームがあるのですが、指が痛くなる前に日本のどこかで無くしてしまいました。日本でこのクリームと同様のものがあるとわかりましたが、病院で医師の診察の後しかもらえないと聞いて本当に困りました。すると、コンクール出場を機にコンタクトをとるようになったトルコ大使館の駐日トルコ大使ムラト・メルジャン氏が、奇跡的なことに僕が使っているクリームと同じものを大使館内で見つけ、すぐに東京から浜松に送ってくださいました。これがどれほど役に立ったか!今一度お礼申し上げます。第三次予選まであと2日しかなく、その1日目は指の痛みからピアノを触ることさえできませんでした。演奏できないのではないかと心底怖かったです。ですが、緊迫した場面で人間の体には信じられないことが起こります。普段なら治るのに4-5日はかかるのですが、緊迫感と、もちろんクリームのおかげもあって、1日経つとよくなった、というか、少なくとも痛みを感じなくなってきたのです。 Q 室内楽で共演した演奏者たちについての感想を聞かせてくれる? A 言うことなしの素晴らしいミュージシャンたちです。リハーサルには50分という短い時間しか与えられていませんでしたが、彼らの卓越した順応能力のおかげで、演奏は格段によくなりました。本番での演奏にもみんなが満足できました。そして何よりも、みんなが楽しく演奏できたのです。それでも、リハーサル時間があと1時間あったらと思わずにはいられませんが…。 Q コンクール中一番緊張したのはいつかな? A 難しい質問です。そもそも緊張するというのはふさわしい言葉なのかどうか。なぜならコンクール中はあまりに目まぐるしくて、緊張する暇さえないのです。でもやはり、第一次予選は僕にとっては一番きつく感じられました。まだ一次予選なのに1500席のチケットが何週間も前に完売されているホールで、未経験の音響下で、初めてのピアノで演奏するのですから。それに加えて一次予選そのもののストレスもありました。出場者全員が最高レベルの88人のピアニスト中、予選の結果64人が次に進めなくなるのです。そして、出場者に与えられた20分の演奏時間は実に短い。本当の自分の演奏ができる前に終えなければならないのです。 Q 本選で日本人4人、韓国人1人と競うことになり、コンクールが日本で行われていることから、優勝の望みはないと思ったことは? A それは全く考えませんでした。僕は、賞をとるためにコンクールに出ようという人はいないと思っています。コンクール中は厳しい日々が続きます。ピアノを弾くこと、美しい音楽を作り出すことに全神経を集中しなければならず、実際そうしています。このような状況下では、勝ち負けは頭をよぎることさえないのです。そもそも、本選出場者が発表されたとき、友人から言われるまでは、日本人、韓国人でないのは僕だけだということに気づいてさえいなかったのです。 Q ピアニストが国際的に認められ、演奏依頼を受けるようになるにはきっかけが必要だね。コンクールはその最たるものだけど、浜松で優勝したことで、道が開けたと思う? A もちろんです。今の段階だけでも、大きな依頼を受けています。BIS社で収録するCDは全世界で売り出されますし、東京交響楽団とのコンサートツアーやロンドンのバービカン・センターでのコンサートなどがあります。そして、演奏依頼が何年間にも渡って継続的に来ているということが重要なのです。 Q 優勝だけでなく室内楽賞も取ったのだから、これからは忙しくなるね。スコットランドピアノコンクール勝者としてのコンサートがあり、浜松の優勝者ツアーも始まるわけだから。どうやって準備するの? A 優勝者に与えられた賞の1つで、たぶん最も重要なのが、ロンドンのIKON Arts Management社との契約が始まったことです。この会社と日本の関係団体の幹部の方々が集まって、本選の翌日から何度か会合が持たれました。その結果、充実したスケジュールが組まれ、これで第一歩を踏み出したのです。1月には日本でBIS社とCD収録があります。それから2月末までは比較的時間があります。この間に、翌月から演奏する曲の準備をするつもりです。3月からは、スコットランドでロイヤル・スコティッシュ管弦楽団とのコンサートから始まり、4月以降はタイトなスケジュールでコンサートが続きます。スコットランドコンクール優勝でいただいたコンサートと浜松勝者に与えられがコンサートが重なり、今の段階ではいくつになるのか僕にもわかりません。例えば7月末までに日本で15回ほどコンサートが予定されています。来年のスケジュールが確定するのは12月末になります。 Q 今月イタリアでコンサートがあるらしいね。 A 来週モデナとフェルモでリサイタルがあります。1月からは日本でCD収録が始まるのです。 Q 偶然訪日中だった文化観光大臣と会う機会があったそうけれど、どうだった?大臣からの祝福の言葉のほかに、トルコ政府の反応はどうだったのかな? A コンクール後にも予定があったので、11月28日まで日本に滞在しました。この期間に駐日トルコ大使ムラト・メルジャン氏のお計らいで、文化観光大臣メフメット・ヌーリー・エルソイ氏に東京でお目にかかりました。また、文化観光大臣メフメット・ヌーリー・エルソイ氏と教育大臣ズィヤー・セルチュク氏がお祝いのメッセージをソーシャルメディアで発信してくださいました。トルコで、そして世界中でそうですが、我々は分極化した時代を生きています。僕は、芸術は世界の美しさの表れであり、世界をひとつに結ぶ力を持っていると強く信じています。感性に満ちた心は、周囲の人間の心に働きかけ、ともに鼓動させるのです。 Q 今後出場を考えているコンクールは? A 難しい質問ですし、時期尚早です。浜松で優勝したことで、生涯ずっと定期的にコンサート活動が続けられる可能性が生まれました。今言えるのは、今後3年間がとても忙しくなるということです。それから後のことは、いずれはっきり見えてくると思います。 シェフィク・カフラマンカプタン 2018年12月2日 http://www.sanattanyansimalar.com/can-cakmur-sanat-dunyanin-guzel-yuzu-birlestirici-gucu/4089/ シェフィク・カフラマンカプタン Şefik Kahramankaptan プロファイル(トルコ語)

『無知な妖精たち』 Cahil Periler 2001年
『無知な妖精たち』 Cahil Periler 2001年 自身がゲイであることから、ホモセクシュアリティーがテーマとなる作品を多く手掛けているフェルザン・オズペテクの作品の中で、特に有名なのがこの作品である。 <受賞> ・ナストロ・ダルジェント 最優秀女優賞(マルゲリータ・ブイ)、最優秀男優賞(ステファノ・アッコルシ)、最優秀制作(ティルデ・コルシ、ジャンニ・ロモリ) ・イメージ・ネーション フェスティバル 視聴者賞 ・ニューヨーク ゲイ・レズビアン フィルム フェスティバル 最優秀作品 ・オースティン ゲイ・レズビアン 国際映画祭 最優秀作品 監督につい <あらすじ> アントニアはAIDSの治療を専門とする医者。夫のマッシモと、母と共に平穏な生活を送っていた。しかし、交通事故で突然夫を失ってしまう。夫の遺品を整理中、夫のデスクから見つけたのは、夫がミケーレという男性と関係を持っていたことを示すもの。はじめは怒りを失望に打ちひしがれ、ミケーレに憎悪を感じていたアントニアだったが、次第に彼と、彼の周りのゲイ、トランスジェンダーの友人たちと打ち解ける。彼らは、トルコからの移民や、劇作家、ブティックのオーナーなど個性豊かな面々。彼らの生活を知るほどに、アントニアの人生も劇的に変化していくのだった… <作品詳細> 『Cahil Periler』 2001年 監督:フェルザン・オズペテク 音楽:アンドレア・グエッラ 出演:マルゲリータ・ブイ、ステファノ・アッコルシ、セッラ・ユルマズ、ガブリエル・ガルコ、エリカ・ブラン、アンドレア・レンツィ、コライ・ジャンデミル 2001、イタリア、106分 関連記事 ・映画『昔々、アナトリアで』 Bir Zamanlar Anadolu’da ・映画『天使の墜落』 Melegin Dususu

Kolay Japonca! 1 -10 やさしい日本語!
Japonca öğrenmek kolay değil ama çok eğlenceli. Çinden gelme ve çok çizgili kanji harfleri uğraştırıyor tabii. Ancak bu harfler yüzyıllar önce bir nesnenin resmiymiş , sonra kolay yazım için yalınlaştırılmış. Bazıları hâlâ ilk nesneyi andıyor. Birkaç örnek vereyim eğlencelik. Çok bilinen bir örnekle başlayayım. Bu çam ağacı ve sağdaki harf de ağaç demek. Bu ağacı…

Kolay Japonca! 11 -20 やさしい日本語!
Japonca harflere devam! (2) Bu da kolay bir harf. Depodaki mal, satılacak ürün anlamında. Eskiden malları saklamak için toprak küp falan kullanılmış olsa gerek. Bugün kullanılan koli kutuları harfin imajına daha yakın. Üst üste konmuş koliler bunlar. Irmak 川 kava (kawa) Bu basit harfte akan ırmak çizgileri resmedilmiş. Burada Tokyo’da bir semt adını vereyim: Mal…

日本人視点で楽しむ現代トルコ音楽 第6回 Yalın – Keyfi Yolunda, Aşkı Sonunda
荒れた天候もありながら、日本も段々暑くなってきました。 暑くなると冷たい飲み物。食べ物が恋しくなる季節でもありますね (*´ω`)b ということで、今回はトルコのアイスのCMからです。 トルコのアイスと言えば、伸びるアレを想像する方も多いと思いますが、 日本で普通に見るようなアイスもあります。 有名どころで言うとMAGNUM (マグナム)とCornetto (コルネット)。 どちらもトルコのブランドではないのが複雑ですが、美味しいもんは美味しい (๑•̀д•́๑)キリッ しかもトルコでは、結構高級な食べ物なのです…。 そのうちのCornetto。 毎夏丸々一曲ぶち込んだCMクリップを作ってます。 2013 Yalın – Keyfi Yolunda, Aşkı Sonunda 2014 ① Yalın – Yeniden 2014 ② Yalın – Aşk Diye 2015 Yalın – Benimki 2016 Güliz Ayla – İlk Öpücük Benden Olsun 2017 Kenan Doğulu – İlk Adımı Sen At 2018 Murat Boz…

対談記事 オルハン・パムク
対談記事 オルハン・パムク 作家オルハン・パムクはいわゆる「アルメニア人虐殺」はあったという発言の後、ノーベル文学賞を受賞した。このためトルコでは彼を純粋な文学者と見るのは難しい。トルコで事件があるたびに彼の意見が求められているが、いつも批判の的になる。新作がテーマのはずのこの対談でも、政治に関する言及が多くまた読者のコメントも非常に政治的で大部分は批判的である。 ヒュッリイェト紙に許可を頂き、日本の学生や研究者の方々の参考にして頂ければと思い、トルコ語日本語対訳で記事を掲載します。 Orhan Pamuk: Bizi Terk eden bir babayla büyüdüm オルハン・パムク「僕らを置いて出て行った父に育てられた」 2016年1月30日 ヒュッリイェト紙 文章:Çınar Oskay チュナル・オスカイ 写真:Sebati Karakurt セバーティ・カラクルト 日本語訳:岩永実奈、岩永和子、岩永星路 オリジナル記事:Orhan Pamuk Interview Hurriyet PDF形式で全文書をダウンロードできます: Orhan Pamuk Roportaji PDF olarak Orhan Pamuk yeni romanı ‘Kırmızı Saçlı Kadın’da büyük efsanelerin, destanların kaderimizi nasıl etkilediğini yazmış. Binlerce yıldır yeryüzünde yaşamış tüm insanların suçluluk duyguları, korkuları nasıl oluyor…