トルコの映画監督
トルコの映画監督
トルコを代表する映画監督を何人か紹介しよう。
1.カンヌ国際映画祭でパルムドール受賞 ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン
2.デビュー作で国際的な注目を集めた若手女流監督 デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
3.イタリアが映画製作の拠点 ヨーロッパで定評のある フェルザン・オズペテク
4.ベルリン国際映画祭で金熊賞受賞 セミフ・カプランオール
5.1970年代を代表する監督 ユルマズ・ギュネイ
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トルコを代表する映画監督を何人か紹介しよう。
1.カンヌ国際映画祭でパルムドール受賞 ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン
2.デビュー作で国際的な注目を集めた若手女流監督 デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
3.イタリアが映画製作の拠点 ヨーロッパで定評のある フェルザン・オズペテク
4.ベルリン国際映画祭で金熊賞受賞 セミフ・カプランオール
5.1970年代を代表する監督 ユルマズ・ギュネイ
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ベンギュ Bengu (1979年4月23日-)イズミル出身。トルコのPOPシンガー。 幼いころから音楽を学び、ミュージカル版「オリバー・ツイスト」で主役を演じるなどしていた。1998年、TVの歌手コンテストで2位。その後イスタンブールの音楽院でさらに音楽を学び、2007年には別のTVコンテストで見事優勝。2000年デビュー。2007年に発表したアルバム「Taktik(戦略)」中にある「Korkma Kalbim (心よ、怖がらないで)」は、MU-YAP音楽賞においてデジタル音楽賞を受賞、同アルバムは年間売上国内最高を記録した。 ベンギュ「Korkma Kalbim」 関連記事 ・ギュルシェン ・ハーディセ
釣り人が教えてくれたイスタンブルの楽しみ方 イスタンブルでは初雪も降り、冬本番だそうです。冬のイスタンブルというと私は思い出す光景があります。ガラタ橋で釣りをするおじさん達です。「雨にも負けず、風にも負けず」と言いますが、まさに寒い夜に火を焚いてまで釣りをするおじちゃん達の光景に純粋に「なぜ?」と強く思ったのです。 そこで、当時一緒の寮だった友人と一緒にカラキョイに行って一式60TL(当時のレートで3000円程)の安い釣竿を買い、めでたくイスタンブルで釣りデビューすることになりました。親しみやすそうなおじちゃん達に声をかけて、仲間に入れてもらいます。安い釣竿なので全く釣れません。それでも、笑いながらもエサのつけ方から自分の釣りのテクニックまで教えてくれます。時にはラクやエフェスを片手に、缶詰の煮物やチーズをつまみながらトルコの文化や政治、人生相談まで色々なことを話しました。 今思い返せば、おじちゃん達も私も「釣り」という行為よりも、一緒に過ごす「時間」を楽しんでいたのでしょう。魚が釣れるかどうかはあまり問題ではないのです。目の前に広がる海を見ながら、その時間を楽しむことが釣りの醍醐味なのです。私はおじちゃんたちの仲間に入れてもらいましたが、釣りには色々な人が来ています。親子や兄弟、学生やオフィスカジュアルのような格好の人まで。色々なバックグラウンドの人と話せるのも釣りの楽しみの一つです。 釣りを楽しむのはガラタ橋だけではありません。アジア側のウスキュダルでヨルダン人の友人と釣りをした時には、通りがかりの人が釣りを教えてくれました。ベシクタシュも海に近いので釣りを楽しめます。竿を持っていなくても、「お!今日は大漁ですね。」と話すだけで会話が生まれます。釣りをはじめたことで、イスタンブルとの距離感が縮まった気がしました。私が東京に帰って、仕事や満員電車で疲れた時に思い出す「トルコ」はこういう些細な日常の光景だったりします。 留学から日本に帰る時、釣竿は日本に持って帰れないので他のゴミと一緒に玄関に置いておきました。滞在中1匹しか釣れませんでしたが、人生初のマイ釣竿。この釣竿のおかげで出会えた人もいるので、少し愛着があります。そこで大家さんに遭遇。「半年間お世話になりました」とか「今度はいつトルコに来るの?」と他愛も無い話をしていると、ふと大家さんの目が変わりました。「バハル(トルコでの私の名前)、なんで釣りに誘ってくれなかったんだ!」少し寂しそうな顔の大家さん、いつか一緒に釣りをしようと話して別れました。あれ以来、なかなか時間がなくてトルコに行っても釣りはできていませんが、いつかまた挑戦したいと思います。
『私の名は赤』 Benim Adım Kırmızı【新訳版】 (上、下)2012年 ハヤカワ書房 オルハン・パムク(著) 宮下遼(翻訳) ここでは上巻を紹介する。 著者についてはこちら <あらすじ(裏表紙より)> 「1591年冬、オスマン帝国の首都イスタンブールで、細密画師が殺された。その死をもたらしたのは、帝国の命により秘密裏に制作されている装飾写本なのか……?同じころ、カラは12年ぶりにイスタンブールに帰ってきた。彼は例の装飾写本の作業を監督する叔父の手助けをするうちに、寡婦である美貌の従妹ジェキュレへの恋心を募らせていく…。東西の文明が交差する大都市を舞台にくりひろげられる、ノーベル文学賞作家の代表作」 購入はアマゾンから (順に、上、下巻) 関連記事 ・新しい人生 ・白い城
アズィス・ネスィン Aziz Nesin (1915年12月20日‐1995年7月6日)イスタンブール出身。トルコの風刺作家、詩人。100以上もの作品を世に出し、世界中で翻訳され読まれている、トルコを代表する作家。 日本語で出版されているネスィンの作品としては『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』がある。 『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』詳しくはこちら 彼は政治的アクティビストでもあった。そのきっかけとなったのは1980年のクーデタにより、知識人排斥の機運が高まったことであった。彼は仲間の数名の知識人と共に、当時政権にあった軍部に立ち向かい、「Aydinlar Dilekcesi(知識人の請願)」を発したことで有名になった。彼はまた、トルコ作家組合の長でもあった。 彼はイスラムへの強い批判でも知られる人物である。彼はサーマン・ルシュディーの「悪魔の詩」(1988年発表、預言者ムハンマドを題材とした小説)をトルコ語に翻訳した。この小説はイスラム世界では冒涜的だと受け取られ、アズィズ・ネスィンも強く非難を受けた。 1993年7月2日、アナトリア中央に位置するシヴァスのホテルでアズィス・ネスィン含む多くの知識人が一堂に会し会議をしていたところ、ホテルに火がつけられ避難路が塞がれるという、いわゆる「シヴァス大量殺人事件」が起きた。この時、アズィス・ネスィンは危機一髪非難に成功するが、37人もの文化人が命を落とした。この事件はのちに、トルコのイスラム原理主義とその「冒涜者」の対立ではないかとされた。 関連記事 ・オルハン・パムク ・サイト・ファーイク・アバスヤヌク
トルコ語で芸術関連ニュースを発信しているブログSanattan Yansimalar (芸術の木霊)に掲載されたジャン・チャクムル氏優勝のニュースをシェアする許可をいただきました。 ジャン・チャクムル第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝 21歳で、ピアノ界においてめきめきと頭角を現しているジャン・チャクムル。浜松での勝利により、またもや大きな飛躍を遂げた。 スターピアニストジャン・チャクムル(1971年生まれ)。世界的に知られるコンクールの1つである、日本で開催された第10回浜松国際ピアノコンクールで、第一位の栄誉に輝いた。同時に室内楽賞、札幌市長賞も受賞している。 先頃スコットランドピアノコンクールで優勝し、その名を全世界に知らしめたジャン・チャクムル。日本で開催された浜松国際ピアノコンクールにおいて、予選を次々と勝ち抜き、最終候補者6人の1人となった。本コンクールには400人が応募し、DVD選考を通過した95人のうち、88人が参加した。1次予選で24人、2次予選では12人に絞られ、チャクムルは、3次予選後に残った6人の本選出場者の1人となった。本選ではリストのピアノ協奏曲を高関健の指揮で、東京交響楽団とともに演奏し、日本人4人、韓国人1人の候補者たちから一歩抜きんでた。チャクムルは11月23日~25日のコンクール開催中に指に怪我を負ったが、自分で手当てをして出場を続けた。Shigeru Kawai、ヤマハ、スタインウェイの中から選択できたピアノの中から、チャクムルは一番気に入ったShigeru Kawai EX フルコンサートグランドピアノを選び演奏した。 コンクールの第二位は牛田 智大(日本)、第3位はイ・ヒョク(韓国)が受賞した。第4位は今田 篤、第5位は務川 慧悟第6位は安並 貴史と決定した。日本人聴衆者の投票結果では、日本ピアノ界の新星、牛田 智大が1位であった。 審査委員は以下の通り。審査委員長:小川典子(ピアニスト)、ポール・ヒューズ(イギリスBBC交響楽団ゼネラルマネージャー)、ヤン・イラーチェク・フォン・アルニン(ドイツ ウィーク国立音楽大学ピアノ科教授・ピアニスト・ウィーン国際ベートーヴェンピアノコンクール芸術監督、審査委員長)、アレクサンダー・コブリン(アメリカ/ロシア ピアニスト)、ムーン・イクチュー(韓国 ソウル大学校ピアノ科教授、ピアニスト)、ロナン・オホラ(イギリス ロンドンギルドホール音楽演劇学校ピアノ研究科長。ピアニスト)、迫昭嘉(日本 東京藝術大学教授、音楽部長、ピアニスト)、エリソ・ヴィルサラーゼ(ロシア モスクワ音楽院教授、ミュンヘン音楽大学常任教授、ピアニスト)、ウタ・ヴェヤント(ドイツ ピアニスト)、ウー・イン(中国 北京中央音楽院ピアノ学部長、ピアニスト)、ディーナ・ヨッフェ(イスラエル バルセロナ音楽院教授、ピアニスト) 浜松国際ピアノコンクールは1991年にスタートして以来、3年毎に開催されている。国際音楽コンクール世界連盟(WFIMC)およびアリンク・アルゲリッチ財団のメンバーでもある本コンクールは、全世界のピアノコンクールの中でも権威が認められている。今年第10回となったコンクールでは、過去にフレディ・ケンプ(1997)、オルガ・ケルン(2000)、ダヴィッド・フレイ(2003)、アレクセイ・ゴルラッチ(2006)、ダニエル・シュー(2015)などのピアニストたちが受賞している。 出場選考を通過した95人のうち、中国人が13人、日本人は25人、ロシア人は14人、アメリカ人は4人、ウクライナ人は3人であった。第2位は日本のクラシック音楽界の新星牛田が獲得した。ジャン・チャクムルは第10回コンクール優勝者として、東京交響楽団とともに20回の日本国内コンサートツアーを行う。他にも多くのコンサートが組まれるほか、BISレコードからCDのレコーディング契約の権利を獲得した。ジャン・チャクムルは現在ドイツのフランツ・リストヴァイマル音楽大学に在学中で、グリゴリー・グルツマン教授の指導の下、研鑽を積んでいる。 プロフィール 1998年アンカラ生まれ。レイラ・ベケンシル、アイシェ・カプランのもとでピアノを習い始め、2009年からはエムレ・シェンの指導を受ける。2010年にベルギーで開催された第10回青少年ピアノコンクールで最終選考に残り、EPTA-ワロニーの長であるディアンヌ・アンダーソンからムジカ・アルテルナのマスターコースに招聘される。2010年より数多くの国際的な音楽院で研鑽を重ね、エヴァ・クピーク、アリエ・ヴァルディア、ラン・ヴァイスなど著名な演奏家との共演の機会を得る。2012年に第22回ローマ国際コンクールで優勝してからは、アンカラを皮切りに、ベルギー、ルクセンブルク、イスタンブールドイツ領事館、ウイーンの在墺トルコ大使館でリサイタルを行う。これらと並行して、トルコでアンタルヤ・ピアノフェスティバル、アンカラ音楽祭、イタリアではマルケッルス劇場音楽祭などの国際芸術祭で演奏する。2013年にはギュヘル、シュヘル・ペキネル姉妹による青年音楽家教育プロジェクトに選出される。2014年ピアナーレ国際ピアノアカデミー&コンクールでの好成績により奨学金を獲得、EMCY賞(European Music Competitions for Youth)も受賞した。同年エンデル・サクプナル指揮、エスキシェヒル交響楽団で演奏を果たしたチャクムルは、ヴァイマルで開催された第4回フランツ・リスト青年ピアニストコンクールで3位に入賞、同時にバルトーク特別賞を獲得する。同年、ドニゼッティ・クラシック音楽賞の「ヤング・ミュージシャン賞」(18歳以下部門)受賞。2015年には、サッシャ・ゲッツェル指揮ボルサン・イスタンブールフィルと、第43回イスタンブール音楽祭のオープニングコンサートでの演奏を果たした。2017年スコットランド国際ピアノコンクールで第1位となり、本年イギリスで数多くのコンサートで演奏する権利が与えられている。 今日までの演奏家としてのアイデンティティの確立は、マルセラ・クルデリ、菅野潤の指導によるところが大きく、現在なお大学生としてドイツのフランツ・リストヴァイマル音楽大学においてグリゴリー・グルツマン教授に師事している。同時にベルギーでディアンヌ・アンダーソンからも教えを受けている。 http://www.sanattanyansimalar.com/can-cakmur-10-hamamatsu-yarismasi-ni-kazandi/4080/
Tokyo gezisinin bu bölümünde Love Turkey ofisinin de olduğu Omotesando bölgesini geziyoruz. Tren bağlantıları için işinize yarayacak sayfaları tekrar verelim:https://world.jorudan.co.jp/mln/en/?sub_lang=nosubhttp://www.hyperdia.com/en/ 3 Omotesando Tokyonun moda merkezlerinden Aoyama bölgesinin tam ortasından geçen bu cadde Paris Şanzelize cadesinin Tokyo karşılığı. Hem dünyaca ünlü markaların mağazaları hem de gezen insanlar pek şıktır.Varış:Metro ile Chiyoda, Ginza ya da Hanzomon hatları…