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日本語で読む「ナーズム・ヒクメット」

日本語で読む「ナーズム・ヒクメット」

トルコ文学を代表する詩人ナーズム・ヒクメットの作品は1960年代から日本でも紹介されている。広島の原爆で命を落とした少女をテーマにした「死んだ少女」は今でも日本歌曲として歌い続けられている。

 

トルコで8年間暮らした日本人の方がトルコ語から訳した詩をもとのトルコ語と一緒に紹介したい。

Heartland Asagoのブログから引用

 

 

 

「 KEREMのように 」
(KEREMはあるトルコ文学作品に登場する情熱的な男性の名)

空気は鉛のように重い!

叫び
叫び
叫び
叫 ん で い る

走れ!
鉛を
熔かす
ために
呼 び か け て い る

彼は私に言う
― お前は自分の声の情熱で灰になってしまうだろうよ
Keremのように
燃えながら

苦悩はあまりにも多く、しかしそれは私にとって無いにも等しい

心のなかの
2つの耳は
何も聞こえない

空気は鉛のように重い…

私は彼に言う
― 灰になってやろうじゃないか
Keremのように
燃えながら

俺が燃えなければ
お前が燃えなければ
俺達が燃えなければ
一体どうやって抜け出せるというのだ?
この暗闇から明るいところへ

空気は大地のように肥え
空気は鉛のように重い
叫び
叫び
叫び
叫 ん で い る
走れ!
鉛を
熔かす
ために
呼 び か け て い る

1930年5月        Kerem gibi トルコ語原作

(Nazim Hikmet全詩集1 ―835Satir― YKY出版より)

 

 

「胡桃の樹」

頭上には泡のような雲 内も外も海で満ちている
私は 一本の胡桃の樹 ギュルハネ公園に立つ
節くれだった 年老いた 胡桃の樹
君は私に気づいてはいない 警察も気づいてはいない

その葉は 水を得た魚のように ぴちぴちしている
その葉は 絹のハンカチのように ぱりぱりしている
もぎとってしまっていいよ その瞳から 笑って 涙を拭いて

その葉は 私の手だよ ちょうど10万の手があるんだ
10万の手で私は触れる 君に イスタンブルに
その葉は 私の目だよ ちょっと驚いたように見るんだ
10万の目で私は見る 君を イスタンブルを
10万の鼓動のように 脈打つ 脈打つ 私の葉っぱ

私は 一本の胡桃の樹 ギュルハネ公園に立つ
君は私に気づいてはいない 警察も気づいてはいない

Ceviz Ağacı トルコ語原作

 

 

「胡桃の樹」ナーズム・ヒクメットの自分の声からも聴くことができる。アゼルバイジャンを訪問した際にラジオで放送されたようだ。

 

 

 

 

 

駆け足でやってきて

遥か遠いアジアから、地中海まで

雌馬の頭のように横たわる

この国土は 我々のものだ

血まみれの手首 くいしばられた歯 裸足の足

絹の絨毯のような大地

この地獄 この天国は 我々のものだ

閉じてしまおう 扉を もう二度と開かないように

人が人を奴隷とすることを もう終わりにして

この呼びかけは 我々のものだ

生きるということは 一本の樹のように 唯一で自

由だ

そして森のように友好的なもの

この熱望は 我々のものだ

 

 

 

 

 

「最終バス」

夜半。 最終バス。
車掌が切符を切る。

家では
悪い知らせが 私を 待っているわけでも
ラクとご馳走が 私を 待っているわけでもない。

私を 待っているものは 別れ・・
私は 歩み寄る。 別れに。 恐れることも そして 悲しむこともなく。

ますます近づいてきた。広大な暗闇が私へと。
もはや 私は 世界を じたばたせず 落ち着いて 眺めることができる。
友の不意討ちすら もはや 私を 驚かせはしない。
握り合おうと差しのべた手に ナイフを突き刺されても。
どんな敵も もはや 私を 挑発することはできない。無駄なことだ。

偶像の森を通り抜けた。それらを斧で切り倒しながら。
しかし、それらは なんと簡単に倒れていったことであろうか。
信じてきたことを再び試みてみた。
そして、そのほとんどが純粋だということが判明した。ありがたいことに。

私は かつて これほど輝かしかったことがなかった。
これほど自由だったことが。

ますます近づいてきた。広大な暗闇が私へと。
もはや 私は 世界を じたばたせず 落ち着いて 眺めることができる。
顔をあげて ぼんやりと あたりを見渡すこともない
目の前に浮がびあがる過去
ある言葉
ある香
ある手の合図

それは真心に満ちた言葉
甘美な香
私に手を振る恋人の姿

しかし、追憶の誘いも もはや 私を 運命づけはしない。
追憶に不満などない。
もともと何事に対しても 不満など これっぽっちもないのだから。
休息する間もない心が 大きな歯痛のような 痛みを抱えていることに対してさえも。

ますます近づいてきた。広大な暗闇が私へと。
もはや 高飛車な官僚も 書記官のおべっかも どうでもいい。
水桶いっぱいの光が 頭上からつま先へと ほとばり散る。

私は太陽を直視することができる。目を細めずに。
そして 多分、 哀しいことに
この上なく 優美な嘘でさえ もはや 私を 騙すことはできないのだ。
もはや どんな言葉も 私を 酔わすことはできない。
他人の言葉であれ、自分自身の言葉であれ・・・。

ますます近づいてきた。死が私へと。
世界よ、いつもより美しい世界よ。
世界は、私の下着であり、衣であった。
そして私は脱ぎはじめる。
私は とある汽車の窓だった。そして今、駅となる。
私は とある家の内側だった。そして今、戸となる。
鍵はかかっていない。
訪問客を これまで以上に愛している。

そして熱はいつもより黄色く、雪はいつもより清く。

(1957年 7月21日 プラハにて)

Son Otobüs トルコ語原作

 

 

 

アマゾン・ジャパンで買えるナーズム・ヒクメットの詩集

ナーズム・ヒクメット詩集、中本信幸訳

 

 

フェルハドとシリン

内容(「MARC」データベースより)
二十世紀トルコを代表する詩人ヒクメットが、幻想的に、悲しくも美しく綴る愛と自己犠牲と希望の物語。トルコ語原典より初訳。美貌の姫に恋した絵師は「鉄の山」の聖者になる! ヒクメット生誕100年を記念しての出版。

翻訳者:石井啓一郎
1963年東京生まれ。1986年上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。専攻はスペイン文学、ロマンス語言語学、イスラーム学、地中海圏における比較思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

 

 

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