ケマル・パシャ伝 大島 直政 (著)
ケマル・パシャ伝 大島 直政 (著)
トルコ共和国初代大統領ケマル・アタチュルクを当時一緒に戦った元兵士の声を元に、できるだけ忠実語っている一冊。科学的な資料ではないが、アタチュルクを知るうえで貴重な書籍である。
ご購入はアマゾンから
『私の名は赤』 Benim Adım Kırmızı【新訳版】 (上、下)2012年 ハヤカワ書房 オルハン・パムク(著) 宮下遼(翻訳) ここでは上巻を紹介する。 著者についてはこちら <あらすじ(裏表紙より)> 「1591年冬、オスマン帝国の首都イスタンブールで、細密画師が殺された。その死をもたらしたのは、帝国の命により秘密裏に制作されている装飾写本なのか……?同じころ、カラは12年ぶりにイスタンブールに帰ってきた。彼は例の装飾写本の作業を監督する叔父の手助けをするうちに、寡婦である美貌の従妹ジェキュレへの恋心を募らせていく…。東西の文明が交差する大都市を舞台にくりひろげられる、ノーベル文学賞作家の代表作」 購入はアマゾンから (順に、上、下巻) 関連記事 ・新しい人生 ・白い城
『ことだま・イスタンブル』 日本・トルコ 共同著作 2015年 アルケオロジー・ヴェ・サナト出版 日本からトルコを、トルコから日本を見つめ、2か国、2言語で出版された文芸作品。 2015年に出版された『はじまり』は、日本とトルコ、また両国につながりを持つ芸術家、作家、学者、研究者による共著。各執筆者がそれぞれの立場から見た日本・トルコ両国のつながりや、文化・文芸、歴史などについて綴る。これまで注目されることのなかった二国の文芸的側面に光を当てた珠玉の一冊。 Love Turkey ストアからのご購入はこちら↓ 『ことだま・イスタンブル』 詳しくはこちら
トルコで私も考えた トルコについての本は数多くある中、漫画家の高橋ゆかりさんの「トルコで私も考えた。」は格別に面白い。トルコにリポーターとして渡った高橋さんは最初は完全に外から見ていたトルコに次第に溶け込んでいきます。トルコ人の旦那さんとの出会いや結婚後の日本での生活ぶりまで語ってある5冊のシリーズは貴重な比較文化資料とも言えるでしょう。 Amazon Japan アマゾン・ジャパン
『無垢の博物館』 Masumiyet Muzesi 上、下 早川書房 2010年 オルハン・パムク(著) 宮下遼(翻訳) <あらすじ(上)> 「ノーベル文学賞受賞後第一作! 全世界絶賛。『わたしの名は「紅」』 『雪』に続く、世界最高の語り部の最新傑作。 三 十歳のケマルは一族の輸入会社の社長を務め、業績は上々だ。可愛く、気立てのよいスィベルと近々婚約式を挙げる予定で、彼の人生は誰の目にも順風満帆に 映った。だが、ケマルはその存在すら忘れかけていた遠縁の娘、十八歳のフュスンと再会してしまう。フュスンの官能的な美しさに抗いがたい磁力を感じ、ケマ ルは危険な一歩を踏み出すのだった――トルコの近代化を背景に、ただ愛に忠実に生きた男の数奇な一生を描く、オルハン・パムク渾身の長篇。」 <あらすじ(下)> 「これは不倫か? 純愛か? 男は婚約中にもかかわらず、美しい遠縁の娘との 情事に溺れていく。狂気に彩られた愛の物語。 「これから、わたしたちはどうなるの?」二人の愛する女から突きつけられたこの言葉に、ケマルは答えをもたなかった。彼の心はスィベルとフュスンの間を揺 れ動き、終わりのない苦悩に沈む。焦れた女たちはそれぞれの決断を下すのだが……。ケマルは心配する家族や親友たちから距離を置き孤立を深める。会社の経 営にも身が入らず徐々にその人生は破綻していく――トルコ初のノーベル文学賞作家が八年の歳月を費やして完成させた最新傑作、待望の邦訳。」 購入はアマゾンから (順に上、下巻) 関連記事 ・雪 Kar【新訳版】上・下 ・白い城
『白い城』 Beyaz Kale 2009年 藤原書店 オルハン・パムク(著) 宮下遼、宮下志朗(翻訳) <あらすじ> 舞台は17世紀のイスタンブール。ナポリへの航海中に海賊にさらわれ、奴隷としてイスタンブールにやってくるヴェネチア人学生が主人公だ。彼はのちに「師」と呼ばれる、自分と見間違うほどよく似た男の奴隷となる…
アズィス・ネスィン Aziz Nesin (1915年12月20日‐1995年7月6日)イスタンブール出身。トルコの風刺作家、詩人。100以上もの作品を世に出し、世界中で翻訳され読まれている、トルコを代表する作家。 日本語で出版されているネスィンの作品としては『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』がある。 『口で鳥をつかまえる男‐アズィズ・ネスィン短編集‐』詳しくはこちら 彼は政治的アクティビストでもあった。そのきっかけとなったのは1980年のクーデタにより、知識人排斥の機運が高まったことであった。彼は仲間の数名の知識人と共に、当時政権にあった軍部に立ち向かい、「Aydinlar Dilekcesi(知識人の請願)」を発したことで有名になった。彼はまた、トルコ作家組合の長でもあった。 彼はイスラムへの強い批判でも知られる人物である。彼はサーマン・ルシュディーの「悪魔の詩」(1988年発表、預言者ムハンマドを題材とした小説)をトルコ語に翻訳した。この小説はイスラム世界では冒涜的だと受け取られ、アズィズ・ネスィンも強く非難を受けた。 1993年7月2日、アナトリア中央に位置するシヴァスのホテルでアズィス・ネスィン含む多くの知識人が一堂に会し会議をしていたところ、ホテルに火がつけられ避難路が塞がれるという、いわゆる「シヴァス大量殺人事件」が起きた。この時、アズィス・ネスィンは危機一髪非難に成功するが、37人もの文化人が命を落とした。この事件はのちに、トルコのイスラム原理主義とその「冒涜者」の対立ではないかとされた。 関連記事 ・オルハン・パムク ・サイト・ファーイク・アバスヤヌク