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『天使の墜落』 Melegin Dususu
『天使の墜落』 Meleğin Düşüşü セミフ・カプランオール監督の2005年の作品。 監督について <あらすじ> あるホテルで清掃の仕事をしているゼイネプの夜は、父親からの虐待のせいで地獄も同然。ゼイネプがコミュニケーションを取れるのは同じホテルで働き、彼女に関心を示しているムスタファだけ。 自分よりも年下のムスタファの誘いには簡単に良い返事はできない、けれど無視することもできない。ゼイネプは、心の中の葛藤から解放されるべく、進むべき探している。 同じ町の別の場所では、若い音響技師のセルチュクが、妻の死への罪の意識に苦しんでいる。セルチュクの妻の服の入ったスーツケースは、ゼイネプの運命を思わぬ形で変えてゆくのだった… <受賞> ナント三大陸映画祭 グランプリ ケララ国際映画祭 グランプリを受賞 イスタンブール国際映画祭 国際映画批評家連盟賞 アンカラ国際映画祭 審査員特別賞 <作品詳細> 『Melegin Dususu』 2005年 監督:セミフ・カプランオール 音楽:エドワード・グリーグ 出演:トュリン・オゼン、ブダク・アカリン、ムーサー・カラギョズ、エンギン・ドアン、イェスィム・ジェレム・ボスオール、オズレム・トゥルハル 2005年、トルコ、ギリシャ、90分 関連記事 ・映画 『裸足の季節』 ・映画『昔々、アナトリアで』 Bir Zamanlar Anadolu’da
セルタブ・エレネル Sertab Erener
セルタブ・エレネル Sertab Erener (1964年12月4日-)イスタンブール出身のPOP歌手。 POPシンガーになる以前は声楽を学んでいた。ソプラノ歌手であり、音域が非常に高いことで評価されていた。 ヨーロッパでは、「Every Way That I Can」を披露したユーロビジョン2003年の優勝者として名高い。 セルタプ・エレネルのユーロビジョン2003でのパフォーマンス 関連記事 ・ハーディセ ・タルカン
『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim
『最後の授業』 Hakkari’de Bir Mevsim 1995年 晶文社 フェリット・エドギュ(著) 木原興平(翻訳) <あらすじ> 舞台はトルコ南東部ハッキャーリ。主人公の青年は、何らかの事情で記憶を失っており、その記憶を少しずつ思い出すように、自らが生きるために必要なことを思い出しながら、それを生徒たちに教えようとする…。 この作品を原作とした映画「ハッカリの季節」は1983年にベルリン映画祭において銀熊賞、国際評論家連盟賞を受賞し一躍有名になり日本でも翌年公開された。 著者についてはこちら 購入はアマゾンから 関連記事 ・『イスタンブール短編集』 ・トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
映画監督 ユルマズ・ギュネイ Yilmaz Guney
映画監督 ユルマズ・ギュネイ Yılmaz Güney トルコ人映画監督、脚本家、俳優、小説家 (1937年4月1日-1984年9月9日)アダナ出身。アンカラとイスタンブール大学で法律と経済学を学んでいたが、大学在学中の1958年に映画界へ。初めは監督のアシスタントとして働き始めるも、その後二枚目俳優として人気となり、1975年までの17年間で100本以上の作品に出演した。脚本家としても1983年までの25年間で50本以上の脚本を執筆している。 1960年に国内でクーデターが起こると、執筆した小説が共産主義的であるとされ2年間投獄される。出所後、1966年に『馬と女と拳銃』で映画監督としてデビュー。1968年には自身の映画制作会社「ギュネイ・フィルム」を立ち上げ、『Umut(希望)』(1970年)や『哀歌』(1972年)など、4年間で13本の作品を監督するが、多くはトルコ政府から上映禁止処分を受ける。 1972年、アナーキストの学生を匿った罪で再び投獄されると、ギュネイは獄中から指示を出し、助手のシェリフ・ギョレンが現場で演出を行うという形式で映画製作を行い、同年、恩赦を受けて出所し、『友人』を撮影したが、『心配』(1974年に完成)の撮影中にユムルタルク郡のカジノで口論相手の郡判事セファー・ムトゥルを射殺したかどで逮捕され、10月25日にアンカラ重刑罰裁判所で開始された裁判の結果、1976年7月13日に19年の禁固刑を言い渡された。ギュネイは再び獄中から指示を出し、ゼキ・オクテンが演出を行った『群れ』(1979年)や『敵』(1980年)といった作品を製作し、前者はロカルノ国際映画祭特別賞や英国映画協会サザーランド杯、後者は第30回ベルリン国際映画祭で特別賞を受賞するなどいずれも高く評価された。また、1977年と1981年には業績を称えられ、ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を2度受賞している。 1981年に刑務所を脱獄し、フランスに亡命。獄中のギュネイの指示を元にシェリフ・ギョレンが演出を行った『路』の編集作業を行い、翌1982年に完成させる。刑務所から仮出所を許された5人の男の姿を描いた本作は第35回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。1984年、亡命先のパリで胃癌により47歳で死去。 関連記事 ・ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン ・フェルザン・オズペテク
『改宗者クルチ・アリ教会からモスクへ』
『改宗者クルチ・アリ教会からモスクへ』 Muhtedi Kiliseden Camiye 藤原書房 2010年 オスマン・ネジュミ・ギュルメン(著) 和久井路子(翻訳) 著者についてはこちら <あらすじ(裏表紙より)> 「中東から北アフリカ、ヨーロッパに渡る広大な地域を勢力下に収めたオスマン帝国と、擡頭しつつあるキリスト教諸国との間で、激しい勢力争いが展開された十六世紀地中海世界。イスラム王朝を敷きつつも多様な民族と宗教をその懐に抱いていたオスマン帝国では政治、軍事などの各領域においてさまざまな出自の人々が活躍の場を獲得していた。クルチ・アリもまた、その一人である。キリスト教からイスラムに改宗し、海賊として頭角を現したクルチ・アリは、その勇敢さと智恵によって勇名を馳せ、その力を恐れたキリスト教諸国からの度重なる懐柔をも斥けてついにオスマン帝国海軍の最高位である提督に登り詰める。 本書は、クルチ・アリという伝説的人物の物語であるとともに、彼を取り巻く、海という自由を生きた男たちの群像劇でもあり、その背景には、オスマン帝国という特異な存在の勢力の源泉となっていた宗教的多様性のダイナミズムが、博覧強記の著者の筆力によって、余すところなく描き出されている。」 購入はアマゾンから 関連記事 ・最後の授業 ・トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争
日本人視点で楽しむ現代トルコ音楽 ERTUĞ ERGİN エルトゥー・エルギン
無事に2回目を迎えられました、この連載。 今まで自分が聴いてきた曲を総ざらえして、次は何にしようかと考えているのですが。 日本の曲もトルコの曲もポップやロックのジャンルで捉えると、そんなに違いはないような気もします。 とは言え、トルコらしいズンチャカした曲も好きなので、機会があればここに出したいと思います。 そして私自身は映像美も気にしたいので、今回も映像が独特な曲で行きます。 Ertuğ エルトゥー Yola Devam (2008年) (元々YouTubeのビデオを紹介しようと思ったのですが、http://izlesene.com の方が画像がキレイでした。) 今回も「elektronik」分類の曲になるんでしょうか(汗) 日本でも一時流行った砂絵アニメーションのようですが、実際はどうなんでしょう? このクリップを扱ったネット記事には詳細が書かれていませんでした。 この方の本名は Ertuğ Ergin と仰るそうで、残念ながら既に故人です。 将来を嘱望された作曲家・歌手だったようですが、2012年に42歳の若さでこの世を去ってしまわれました。 Hande Yenerさんも同じ曲を歌っています。 (クリップの記事URL:https://www.sozmuzik.com/index.php?name=News&file=article&sid=1131 …) (Ertuğ Ergin (Vikipedi) : https://tr.wikipedia.org/wiki/Ertu%C4%9F_Ergin …) (YouTube ビデオ:https://www.youtube.com/watch?v=KccKhT6WQuk&list=RDKccKhT6WQuk …) Yola Devamyıkıldığın her anyok olmadığına şükretkalk aynalara bakyorulduğun her ankolay ölümden vazgeçkalk gökyüzüne bakyüreğine güneş koyyüreğine bulut koyyüreğine yıldız koyyola devamsen zamansız yürek yakanhayatı yalan…